彼は自分の製品を使ってくれる「友だち」に音楽を盗むようなことをしてほしくなかったのではないだろうか。「盗みはいけないんだよ。ほかの人たちを傷つけるし、自分の人間性も傷つけてしまう」とのちに語っている。彼一流のメッセージは本心だったように思える。
顧客を単なるユーザーや消費者ではなく、「友だち」として見たこと。少なくとも、そうしたニュアンスをビジネスの中に持ち込んだこと。この点がほかの企業リーダーと比べてみたとき、ジョブズの際立った特徴であり、それは総じていい結果をもたらした。
例えば1998年8月に発売されたiMacは、発売から6週間で27万8000台が、さらに年末までに80万台が売れたが、その32%はコンピューターをはじめて買う人だったと言われる。彼は首尾よく新しい「友だち」をつくり出したわけだ。
新しい「友だち」を何度もつくり出した
こんな具合にジョブズは新しい市場を生み出していった。しかも1度ではない。iPodでもiPhoneでも、それまで存在していなかった市場を次々と可視化し、実体化していった。ジョブズには市場をつくり出す能力があった。それはそうだろう。誰にも見えていない消費者や顧客が、彼には「友だち」として見えていたのだから。
逆に考えてみよう。仮にジョブズが「友だち」というキーワードをビジネスに持ち込まなければ、例えばiPhoneは生まれただろうか? 「友だち」に届けるというコンセプトを彼がかたくなに守り続けたからこそ、徹底したオブジェクト指向は生まれたと言えるし、それは結果的に子どもから老人まで、面倒くさいマニュアルを見なくても指1本で操作できる画期的なガジェットを生み出した。ライバルたちが考えてもみなかった数十億規模の市場をつくり出したのである。
一方で、なんともまわりくどく大仰な手を使ったものだ、と思わずにはいられない。僕たちなら1人の親密な友を得れば済むところを、ジョブズの場合は「宇宙に衝撃を与えるような製品」を次々と生み出し、自分の会社を世界有数のテクノロジー企業に育て上げなければならなかったのである。
彼に決定的に欠けているのは自然さだろう。誰もがこともなげにやっていることが、彼には不可能に近いほど困難だった。普通のことを自然にやるために、世界をひっくり返してみなければならなかった。
(第11回に続く)
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