ジョブズがユーザーに「友だち」を求め続けた訳 普通を自然にやるために宇宙をひっくり返した

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「World class worldwide」(世界で通用するものを全世界に)。元lBM副社長、OS/2最高責任者・ジェームズ・キャナビーノ。1991年9月 (撮影:小平 尚典)

ファースト・ネームだけでなく性向からして、ジョブズは『消えた少年たち』の7歳の少年スティーヴィに似ている気がする。ぼくたちのスティーブにも見えていたのではないだろうか。普通の人には見えない大勢の「友だち」が。なぜ見えたのか? 『消えた少年たち』のスティーヴィと同様、必要だったからだろう。

人は自らが必要とするものを見る。ジョブズは見えない「友だち」を必要とした。すでに述べたように彼には強い孤独感がある。孤立感と言ったほうがいいかもしれない。例えばレストランに入る。気に入らない料理には手も付けない。顔を背けるようにして下げさせる。一口味をみてダメなら、満足がいくまで何度でも取り替えさせる。ジョブズについて書かれた本を読むと、こうした話がぞろぞろ出てくる。

それはぼくたちを戦慄させる。「こんな状態では、ひと月と生きていられそうにない」と冗談ではなく思う。まるで自分1人の惑星に彼1人が住んでいるかのようだ。あるいは彼以外の者はすべて異星人であるかのようだ。

ひょっとするとジョブズの中では、七十数億対1人というバランス感覚になっていたのかもしれない。孤独地獄をも思わせるほどのすさまじい孤立感が、普通の人には見えない「友だち」をつくり出したのではないだろうか。

ジョブズには「友だち」として見えていた

ただし少年スティーヴィの場合と違って、その「友だち」はただ空想として存在するだけではなく、例えば「顧客」や「ユーザー」や「信者」という姿で可視化し、実体化できるものだった。IBMやマイクロソフトやHPには見えていない人たちが、ジョブズには「友だち」として見えていた。

問題は見えない人たちをどうやって可視化するかだ。そこにジョブズのデザインの考え方が反映されてくる。いるのはわかっている。だが目に見えない。気配だけが感じられる者たちに、「クールだ」とか「すごい」という声を上げさせて、彼らが「存在している」ことを確かなものにする。

ジョブズにとってのデザインは、見えない「友だち」を可視化するための手段だったのではないだろうか。デザインだけではない。彼が世に問う製品自体が、「友だち」を実在の世界に在らしめるためのものであり、孤独なスティーブが外界とつながるほとんど唯一の通路だったように思える。

エンジニアリングやデザインに関して、彼の貢献度を疑問視する声は根強くある。実際には何もしていないという人もいる。プログラムもできなかった。デザインの何たるかもわかっていなかった。ダニー・ボイルの映画でも、ウォズニアックにそんな趣旨のことを言わせている。

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