富山のテレビ局が問う「地方発調査報道」の重み 映画「はりぼて」に見えた葛藤、しがらみ、忖度

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五百旗頭氏「僕はキャスターだったので、『これはおかしい』と思ったことはスタジオで口に出していました。視聴者目線で。そういったことを番組で語ると、社内外から『あれはどうなんだ』『言いすぎだ』と言われる。そうした声は、僕には直接届きません。何かを、誰かを通して、です。そういうことが、たびたびありました。本当に日本的ですよね。
『やりすぎ、言いすぎ』という論理は、基本的には、自民党や権力者たちは経済界とつながっているので、彼らを怒らせると経済界が会社側に何か言ってくる可能性がある、営業に影響がある、という理屈です。でも、僕はまったく気にしなかった。無視です。それを考え始めたら、僕らは終わりだし、そんなこと言ってくること自体がおかしい。情けなくなるくらいのレベルの話ですが」

 

『はりぼて』の1シーン ©チューリップテレビ

実は番組の最後では、一連の報道が終わりかけたころの局内の様子も描かれている。報道に携わった人たちの、“叫び”のようにも見えるし、それまでの文脈から離れた唐突な場面のように見える。これはいったい、何なのか。

砂沢氏「自民党に対してやりすぎて、会社の中で圧力がかかったのだろう、その場面なんだろうと勘違いされることが多いんですが、実際、そんな圧力はなかったんです。そういうふうに見えるのは仕方ないにしても、直接の圧力はなかった。『はりぼて』の公開に当たって、会社側から内容を差し替えろという指示もありませんでした。
自分自身は、一連の報道の終盤で人事発令が出て記者職を離れるわけですが、ただ、あのラストシーンを入れたのは、ある意味、自分たちだけがスクープで不正を暴いたとか、そういうかっこいいものではなくて、もう少し自分たちの内情もさらけ出し、不正を働いた議員たちと比べても、少しでもフェアでありたかったというか」

「僕らも組織を忖度している」

五百旗頭氏「一連の報道をドキュメンタリーにするに当たって、本当にいろんな葛藤がありました。組織ジャーナリズムにおける葛藤です。それを描けるのは五百旗頭しかいないからと周囲にも言われ、(社内会議の場に)カメラを入れて映画にも使いました。
でも、あれ以上表現すると、この映画は公開できなかった。僕らはギリギリを攻めているんです。それはイコール、僕らも組織を忖度しているということなんです。同じようなことはメディア内部だけでなく、ほかの会社組織でもどこでも、何度も繰り返し起きていることではないでしょうか」

それでも、チューリップテレビの現場はしつこく、諦めず、地道な報道を続け、その結果、富山市議たちの“水面下の素顔”は表に出たのである。

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