佐藤:ところが政府は、まだ東京オリンピックの開催にこだわっている。
施:執着していますね。昔のアマチュアリズムの時代に戻って簡素にやるというのも1つの手かなという感じもしますが、いずれにしても今から1年ではまずコロナは終わらないでしょう。
柴山:僕もまったく同意見ですね。少なくともオリンピックを通常通り開催するということは考えられない。
東京オリンピックが象徴するもの
施:延期された東京オリンピックの開催の是非を日本人に尋ねたアンケートの結果を見ると、「中止すべきだ」という意見も、3割ぐらいに増えているようです。そういう意味では、国民は常識的な感覚で危機を認識している。
ところが政府のほうはオリンピックだとか、「GoToトラベル」だとか、「そろそろ外国人観光客を入れ、インバウンド需要を回復しよう」という話をしている。政策の作り手の感覚は、コロナ以前と全然変わっていないようです。
佐藤:2020年オリンピック大会は本来、「復興五輪」と位置づけられていました。東日本大震災からの立ち直りをアピールするはずだったのに、ここに来て開催の理念が「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証」に変わっている。国境を越えたヒトの移動を再び増やし、インバウンドで経済を刺激するという、新自由主義型グローバリズム復活のアピールにしたいらしいのです。今回の事態から何も学んでいない。
柴山:ヒトの移動をコロナの前に戻すという考えは、はっきりあきらめるべきなんです。コロナをきっかけに、これまでの路線を変更するタイミングに来ています。しかも、これから世界的な不況が来ますからね。この30年、40年続けてきたやり方を大きく転換させないといけない。
佐藤:2012年、政権を奪還したころの自民党は「日本を、取り戻す」がスローガンだった。古き良き時代に戻ろうというわけですが、前回の東京オリンピックは高度成長のさなか、1964年に開催されている。
「復興五輪」の名称にも、たんなる震災からの再起を超える意味合いがこめられていたと思います。すなわち高度成長期によって象徴される、繁栄の時代への回帰。2010年代を通じてそれを達成し、五輪開催で祝うつもりだったんでしょう。前向きなようでいて、じつは過去志向なんですが、この点は現在も変わっていません。人類がウイルスに打ち勝つというのは、要するに「パンデミック以前への回帰」ですからね。
だが現実には、高度成長期への回帰も、パンデミック以前への回帰も不可能。無理に強行したら「復興五輪」ならぬ「不幸五輪」と化すのは目に見えています。新自由主義型グローバリズムからナショナリズムに転換することのアピールにするというなら別ですが、困るのは五輪自体にグローバリズムの性格が強いこと。アスリートのみなさんには申し訳ないものの、中止しかありません。
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