コロナ危機が導く「グローバリズム以後」の世界 「東京五輪」と「大阪万博」を諦めない日本の末路

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中野:しかし、来年のオリンピックを中止しても、4年後に今度は大阪万博があるわけです。「昔に戻りたい」という夢を絶対に諦めない人たちが、いかに多いかということでしょうね(笑)。

柴山:日本は詰んでるんですよ(笑)。

コロナ危機と新自由主義

佐藤:コロナのパンデミックによって、グローバリズムの見直しが不可欠になったのは明らかです。しかし政府は、新自由主義型グローバリズムの復活をまだ夢見ている。

新自由主義型グローバリズムからグローバリズムを取り去ると、残るのは新自由主義。言い替えればウィズコロナの時代においても、わが国はナショナリズムに向かわず、国民の分断や、弱者切り捨てを容認する新自由主義的方向に向かうのではないか。

佐藤 健志(さとう けんじ)/評論家、作家。1966年、東京都生まれ。東京大学教養学部卒業。戯曲『ブロークン・ジャパニーズ』(1989年)で文化庁舞台芸術創作奨励特別賞を受賞。『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(文藝春秋、1992年)以来、作劇術の観点から時代や社会を分析する独自の評論活動を展開。主な著書に『僕たちは戦後史を知らない』(祥伝社)、『右の売国、左の亡国』(アスペクト)など。最新刊は『平和主義は貧困への道』(KKベストセラーズ)(写真:佐藤 健志)

ナショナリズムの発想でパンデミックに立ち向かうとは、「同じ国民であるかぎり、どんな感染者も見捨てない。日本企業であるかぎり、どこも倒産させない」と構えること。むろんそうすべきなのですが、実践するには徹底した積極財政が必要になります。

ところが、わが国は今なお緊縮志向。コロナ対策の予算をケチるばかりか、感染収束後、財政再建のために増税することまで論議されている。

ならば、新自由主義的な開き直りに徹したい誘惑が生じても不思議はありません。「国民のみなさん、感染対策は自己責任です。自粛による経済被害の補償もしません。給付金をあてにするのは甘えの証拠、自助努力でコロナを乗り切りましょう」という次第。政府債務の増加を抑えるには、とりあえずベストですからね。

論より証拠、感染が収まってからやるはずだった「GoToトラベル」キャンペーンを、よりによって感染拡大期にやってしまった。世界恐慌以来の危機が生じているのに、クーポンをちょっと出すだけで、経済を回す役割を国民に押しつけたのです。

おまけに国民の側にも、自己責任で何が悪いと割り切りたい誘惑がある。「みんなで一丸となって、コロナ制圧のために頑張ろう」という発想のもとでは、行動制限の度合いが当然きつくなります。するとストレスが溜まってくるんですね。「もう自粛はイヤだ。たいていは感染しても無症状か軽症で済むんだから、運悪く重症化したヤツが死んだって知ったことか」、少なからぬ国民が内心そう思っていても驚くにはあたりません。

政府と国民の利害は、意外に一致しているんですよ。「高齢者や基礎疾患のある者が犠牲になるのは仕方がない。経営体力がない中小企業が潰れるのも仕方がない。ある程度の淘汰が起きたほうが、最終的には国民の健康レベルも上がるし、経済も活性化するんじゃないか」、そんなふうに構えたほうが、どちらも気が楽なんです。

しかも新自由主義に徹するのは、平成の日本が取った方向性。つまりパンデミック以前に回帰する意味合いも生まれます。くだんの回帰は「人類がウイルスに打ち勝った証」のはずですから、自己責任と自助努力こそコロナ制圧の道ということになる。

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