第2の点であるが、スウェーデン政府は、従来、危機にあたって高い透明性を示してきた。データで丁寧に説明責任を果たすアプローチをとっていることがあって、国民の政府に対する信頼度が比較的高いのである。
強制措置ではなく国民への推奨によって行動変容を促す政策に、国民は理解を示し、自主的に従っている。スウェーデンは1990年代の金融危機でも、そうした透明性の高いアプローチによって得られた国民の理解を基に、公的資金を大手銀行に大胆に投入して危機を早期に収束させている。
国民の政治家への信頼に関しては、政治家の多くが庶民出身で若い頃から政治のプロフェッショナルとして鍛えられていること、比例代表制の選挙制度を採用していることも、信頼の土壌になっているとされる。
国民の自主性の尊重、医療についての考え方の違い
また、第3の点としては、国民の自主性を尊重する社会であることも重要である。スウェーデンでは医療へのアクセスはあまり良くないが、体調の悪い人は仕事を休み、家で待機してよいという職場のコンセンサスがあるなど、国民の行動の自主性を尊重する社会となっている。自分の行動は自分で決めることを尊重する国民性は子どもの頃からの教育で養われている点も特筆すべきことである。
なお、国民性という観点で言えば、高い死亡率であるにもかかわらず、それをスウェーデン国民が混乱なく受け止めている底流には、医療に対する考え方の違いもあるのかもしれない。平時においても患者の治療にあたる医師が「その患者の予後」を考えた上で、必要な治療を決めることに対する国民的コンセンサスの存在もある。
今回の感染症でも同じ視点に立ち、70歳以上の高齢者が新型コロナに感染して重症化した場合には、予後はどれくらいありそうか、後のリハビリに耐えられるか、といった点を総合的に判断し、ICU(集中治療室)に入れるかどうかを判断する裁量が医師には与えられている。また、家族の意向も日本ほど強くは医師の判断に影響しないという。こうした国民性の違いも理解する必要がある。
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