「指輪のサイズ直しに行きたいんだけれど、保証書をもらっていいですか?」
この言葉を聞いて、貞夫はうれしかった。指輪を自分の指のサイズに合わせて直すというのは指輪を受け入れてくれたということ。これで婚約が成立したと思った。
「結婚?プロポーズされていませんよね」
しかし、その後も、結婚に向けての具体的な話をメールですると、結婚にはまったく触れない返信ばかりがきた。
痺れを切らした貞夫は、「もう8月だけど、仕事はいつ辞めるの?」と、メールをしてみた。
すると、怒りに満ちた返信がきた。
「仕事の件なんですが、辞められて来年の3月です。でも、辞めたからといって、すぐにそちらには行けません。知り合いもいないし、コロナの状況がこのまま続くようなら、帰りたくても里帰りもできない。親とも離れないといけない状況も不安でたまりません。結婚話がどんどん進んでいく中で、私の気持ちが追いついていきません」
「じゃあ、なんで指輪を受け取ったの?」と聞くと、こんな返信がきた。
「指輪は飛行場で、 “はい”と渡されただけですよね。あれがプロポーズなんですか? プロポーズというのは、男のほうから、“結婚してください”と言われるものだと思っていました。意味も意図も不明瞭です」
そして、怒りに満ちた3通目がきた。
「仕事を辞めることを強制されたり、プロポーズもされていないのに結婚を迫られたり、一連の流れに非常に憤りを感じています。言葉足らずで申し訳ありませんが、今回の話はご縁がなかったこととさせてください」
このメールがきた翌日に、貞夫は私に連絡を入れてきて、冒頭の言葉を言った。
「弁護士を立てて内容証明を送り、婚約指輪代を請求する」
悔しさからの発言だろう。この半年間、何度も東京を往復し、相手のご両親にも会い、自分の住んでいるところにも招待し、親や親族に彼女を紹介した。あるレジャー施設でデートしたときには、あれもこれもと抱え切れないくらい手に取っていた土産物の代金を支払い、プレゼントした。指輪を渡したらそれを受け取って、自分の指に合わせてサイズ直しまでした。これまでのデートで、彼女がお財布を開いたことは一度もなく、すべて貞夫が散財してきた。それなのに、今になってこの話をなかったことにすると言うのなら、せめて指輪代くらい請求したい。
その気持ちは痛いほどわかったのだが、私は貞夫に言った。
「交際中に使ったお金も指輪の代金も、貞夫さんが彼女に喜んでほしくて出していたものですよね。交際がうまくいっていたときに払っていたお金を、ダメになったから返せと言うのは、カッコ悪いですよ。それに弁護士を立てて内容証明を作ったら、そこにまたお金がかかる。悔しさを晴らすために弁護士にお金を使うなら、新しい出会いにお金をかけたほうが、生きたお金の使い道になるのではないですか?」
最初は憤っていたが、根が優しくお人好しの貞夫は、言った。
「そうですね。そのとおりです。ゴリ押しして結婚したとしても、彼女とはうまくいかなかったと思いますしね」
ただ女性側の気持ちもわからなくはない。親族に紹介され、指輪を渡され、結婚に向けての外堀が埋められていく中で、「気持ちがついていかなくなった」というのが正直なところだろう。
まとまりかけたご縁が破談になるときには、どちらにも言い分があり、どちらが悪くどちらが正しいというジャッジはできない。
仲人としては、新しい出会いに向かって歩き出した貞夫を精一杯サポートし、幸せな結婚ができるように導いていくだけだ。
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