野球界にそびえる、プロとアマの高すぎる壁 「プロ対アマ」「セ対パ」の複雑怪奇な構造

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野球をめぐる新聞社の“ビジネス戦争”

「プロ野球界は日本社会の縮図――」

楽天オーナーの三木谷浩史は球界参入を決めた際にそう言ったが、なぜ、プロ野球では構造改革が遅々として進まないのか。その理由は、成り立ちに深い根がある。

日本初のプロ野球団、大日本東京野球倶楽部(現在の巨人)が誕生したのは80年前の話だ。すでに学生野球、社会人の都市対抗野球が人気を得る中、1936年に日本職業野球連盟(現在のNPB)が設立され、7球団によるプロ野球リーグ戦が始まった。

興味深いことに、7球団の親会社はすべて新聞社と鉄道会社だった。彼らの狙いについて、関西大学教授の永井良和と大阪府立大学特別教授の橋爪紳也は共著『南海ホークスがあったころ』で、こう説明している。

「野球をプロスポーツの興行というかたちに仕立て上げたのは、読売新聞社を中心とする企業群である。東京の読売新聞は、大阪系の新聞が参入して激化する競争の中で経営不振にあえいでいた。この事態を打開するためにとった戦略が大衆化路線であり、その具体的な表れのひとつがスポーツイベントとのタイアップである。野球の人気を利用して、読者を獲得する――この経営方針の下に、野球の試合が企画され、大々的に宣伝された」

朝日新聞は1915年から全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高等学校野球選手権大会=夏の甲子園)、毎日新聞は1924年から選抜中等学校野球大会(現在の選抜高等学校野球大会=春の甲子園)を主催し、販売促進につなげていた。また、社会人野球ナンバーワンを決める都市対抗野球大会は、毎日新聞(当時の東京日日新聞)の記者のアイデアで生まれている。そうした状況を踏まえ、永井と橋爪は先の著書で、「読売に残された道はプロ化をおいてほかになかったともいえる」と指摘している。

そうして誕生したプロ野球は瞬く間に人気を博し、読売新聞は発行部数を伸ばしていく。鉄道会社はファンを球場に運ぶ足となり、その運賃が収益となった。

プロ野球はカネになる――。さまざまな企業の思惑が重なり合い、1949年、プロ野球再編問題が勃発する。黒字化する球団が増えていく様子を見て、他企業が新規参入を希望したのだ。だが“スタートアップ機”に苦労した7球団にとって、他社の参入をすんなり認めたくないのは理解できる心情でもある。

その結果として1950年、読売新聞社を中心とするセントラルリーグと毎日新聞社が参入したパシフィックリーグが誕生した。事の顚末は長くなるので、Wikipediaなどを参照してほしい。

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