ジョブズの軌跡から読み取れる「光と影」の断面 意外にもアップル本社は四角四面な場所だった

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キーボードやディスプレイなどの一体化した完結なポータブルマシンを理想としていた開発者。ジェフ・ラスキン  1993年12月10日(撮影  小平 尚典)

1970年代中ごろに始まるパーソナル・コンピュータの歴史も、ガレージや小さなショッピング・センターなどで会社をはじめた、ジョブズやウォズニアックみたいな、むさくるしい身なりの若者たちが担うことになる。彼らはまさにガレージ・バンドであり、彼らの会社はIBMなどから見れば紛れもなくインディーズだった。

だがガレージ・バンドとしてはじまったビーチ・ボーイズが「サーフィンUSA」で突破口を開き、あっという間に『ペットサウンズ』の高みに上り詰めていったように、ジョブズとウォズニアックの会社も「アップルⅡ」を皮切りに、文字通り歴史を変えるような製品をつぎつぎと世に送り出していく。

「キャンパス」と呼ばれていたアップル本社

ガレージで起業というイメージが頭のどこかにあったのだろう。実際のアップル本社は、伝説やイメージとはまるでかけ離れたものだった。ぼくが訪れたのは2016年6月で、現在のアップル・パークはなお建設中だった。当時の本社は「キャンパス」と呼ばれていた。広々とした敷地に小奇麗な建物が何棟も建ち並ぶ様子は、その名のとおり会社というよりも大学のキャンパスや研究所といった印象である。

明るく開けた駐車場には車がたくさん停まっている。そして大勢の人。ほとんどは観光客だ。大型バスでやって来た中国人のツアー客などが、ガラス張りのショップでグッズを買い求めている。店内は日本のアップル・ストアと同じなのでとくに興味を惹かれるところはない。キャンパス内は完全禁煙で、メインビルの入口には眼光鋭いガードマンが立っている。セキュリティはかなり厳しそうだ。なんとなく長居は無用という気分になってくる。

たしかにアップル・コンピュータの歴史は、シリコン・バレーを象徴するサクセス・ストーリーである。1977年にアップルⅡが発売されたときに、パソコンが世界を大きく変えることに気づいていた人は少なかったはずだ。しかしジョブズたちが生み出したものは、瞬く間に世界の風景を変えてしまった。そうした製品の多く、iMacやiPodやiPhoneやiPadといった魅力的なガジェットが、この広大なキャンパスのどこかで開発されたことは間違いない。

だが、いまひとつ心が弾まない。整然としたキャンパス自体が、空々しくて面白みがないものに感じられる。明るい日差しの下に立っていても、どこかひんやりとしたものを感じてしまう。パロ・アルトのヒューレット・パッカードもマウンテン・ヴューのグーグルも似たような雰囲気だったから、シリコン・バレーの会社としては標準仕様なのかもしれない。しかし標準的でないのがアップルの製品だったはずではないか。

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