アップルという会社には閉鎖的で秘密主義のところがあるとよく言われる。それはキャンパスのひんやりとした人工的な雰囲気と奇妙に相応している。ぼくはジョブズと同じ膵臓がんで2005年に亡くなったジェフ・ラスキンのことを考えていた。華々しいジョブズの陰で、アップルの歴史から抹殺されてしまったように見える人たちがいる。ラスキンもその1人かもしれない。
マッキントッシュを最初に提起したエンジニア
先述の映画(『スティーブ・ジョブズ』)でもさんざんな描かれようだった彼は、マッキントッシュという名前と概念を最初に提起したエンジニアとして知られる。開発チームの中心メンバーの1人、ビル・アトキンソンはかつてのラスキンの生徒であり、彼に誘われてアップルに入社したという経歴の持ち主だ。また「マルチリンガル」などによって、マッキントッシュのインターナショナル化を推し進めることになるジョアンナ・ホフマンがプロジェクトに参加したときのリーダーもラスキンである。
いわばマッキントッシュ開発の礎を築いた人でありながら、最後はプロジェクトを取り上げられるかたちでアップルを辞めることになる。ラスキンのようにジョブズとそりが合わずに辞めていった人、ジョブズに請われてアップルに入りながら、何年か経つうちに居づらくなって会社を去っていった人、あるいは非情に解雇された人も多いようだ。
アップルという世界的IT企業をめぐる光と影。ジョブズがスタッフをおだてたり罵倒したり脅迫したりしながら、良識ある人たちからは糾弾されそうなほど過酷な労働環境の下でつくり上げた製品は、ベートーヴェンが作った曲と同じように、作品番号を打てるくらい彼自身の作品になっている。他人を自分と一心同体に酷使したから、たんなる電子部品から組み立てられた機械を作品と同じレベルにまで持っていくことができたのかもしれない。
そういうジョブズの非情で冷酷な面をアップルのキャンパスに感じる。彼はアップルという巨大なIT企業に、自分の遺伝子を残して死んでいったということだろうか。iPhoneやiPadなどの製品をジョブズの光の部分とすれば、本社のキャンパスは影の部分なのかもしれない。
(第6回に続く)
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