「世界の山ちゃん」社長急死で妻が見せた"手腕" 経営素人から、全国68店舗を率いるトップに
知り合いがそんな話を持ちかけたのだ。“面白い人”は、名を山本重雄という。
久美さんが18歳のとき、ホウレン草のサラダを提供していた居酒屋の主人は、“幻の手羽先”が大人気の『世界の山ちゃん』10店舗(当時)を経営する、気鋭の経営者に成長していた。
出会って半年でスピード結婚
「たしか喫茶店かどこかで会った気がするなあ……。いちばん初めに会ったときはおとなしい、物静かな人だなあと。おちゃめなところがあって、人を楽しませるためにギターを弾いたりマジックをやったりするんですが、(看板イラストから想像されるような)ハチャメチャに明るいって人ではないですね」
しかし、仕事には極めて厳しい人でもあった。
「変わっているんですよ。まだお互いに打ち解けたとはいえない時分、たしかお寿司屋に行ったときだったかな、カウンターの角がとがっていて主人が手を擦った。メチャメチャ怒って、“こんなにとがっていたら危ないでしょう! 次のお客さんも同じようにケガするよ。トンカチ持ってこい!”って」
重雄さんのけんまくに目が点になった久美さんを尻目に、その場でトンカチを持ちカンカンとかどを叩き始めた。
「私は“人の店で、それやっちゃいけないでしょう!?”って(笑)」
学校の同僚たちにはないそんな一本気なところに惹かれて、32歳で結婚、山本久美となる。出会って半年の、スピード結婚であった。同時に教諭の仕事を退職した。
クラブチームはやめても、小学校の部活の監督は続けていた久美さんが部活からも手を引いたのは、重雄さんからのひと言がきっかけだった。
「市では優勝していたし、その次の年に主力になりそうな子どもたちもすごく上手だったんです。
だからもう1年やりたかったんですけれど、主人から、“10年以上やったんだからもういいんじゃないの?”と言われて」
前出・半谷さんが言う。
「決断は早い人なんですが、結婚を迷っているといえば迷っていましたね。“この人でいいのか?”という迷いではなくて、バスケをやめるタイミングに悩んでいました」
2000年3月、32歳で教員の仕事を退職。同年5月に結婚し、専業主婦となった。