「世界の山ちゃん」社長急死で妻が見せた"手腕" 経営素人から、全国68店舗を率いるトップに

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中学3年のとき、バスケットボールの全国大会で優勝した。シュートをしているのが久美さん。部活後は疲れて寝てしまうため早起きして勉強し、通知表はオール5だったという(写真:週刊女性PRIME)

さて、そんななかでも守山中学バスケットボール部は、久美さん1年のときの全国優勝に始まって在校中に破竹の3連覇を遂げる。

華々しい成績を上げたが、高校ではバスケとは半歩距離を置くことを選ぶ。進学先として選んだのは、名古屋市立向陽高等学校だった。

「井上先生から“名短付属には来るな”と言われて(笑)。私は背が小さい(155センチ)からレギュラーになれないということが先生にはわかっていた。

キャプテンにはなれても、ベンチにずっといるキャプテンではつらいだろうと。バスケだけが人生じゃないと、おっしゃりたかったんだと思います」

この高校で久美さんはバスケを続けつつ充実した“JK(女子高生)ライフ”を送る。

未来の夫との遭遇

高校を終えたあとは大学へ。久美さんが選んだのは、愛知教育大学への進学だった。

教師を養成する教育大への進学は、恩師である井上先生の影響が大きい。

「厳しい人なんですけど、生徒が言いたいことがあるときは、最後まで全部、聞いてくれるんです。バスケもですけれど、人としても尊敬していて“先生のような教師になりたい”と」

そんな18歳、大学1年のときだった。

「ひと足先に就職していたマネージャーだった子から、“メッチャ面白くて美味しい店がある。連れていってあげる”と言われたんです」

その居酒屋は、名古屋の繁華街・住吉にあった。

「ビルの奥の、ちょっと怪しげな店なんですけど(笑)、そこで生のホウレン草のサラダを食べて。今でこそホウレン草はサラダにして食べられていますし、うちの食卓でも出しますけれど、当時はホウレン草を生で食べるなんて、ありえなかった」

サラダと一緒に食べた手羽先のから揚げもまた、食べたことがない味だった。

「あまりにも辛くて。そんなもの食べたことがなかったからびっくり(笑)」

今でこそ人気の手羽先も、当時は始末に困っていたような部位。そんな食材や意外な野菜を、斬新なスタイルで“メッチャ面白く美味しく”調理して、知る人ぞ知る店となっていたその居酒屋は、店名を『山ちゃん』といった。いうまでもなく、夫・重雄さんの店であり、『世界の山ちゃん』の前身である。

「当時は(『山ちゃん』に)マニアはいたみたいですけれど、有名店ではなかったですね。このときはまだ、お互いの存在も知らなかったです」

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