吉村洋文が大阪都の実現にトコトンこだわる訳 45歳の若き府知事が突き進んできた政治家の道

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
(撮影:ヒラオカスタジオ)
弁護士の資格を持ち、衆議院議員を経て40歳で大阪市長に当選。2019年4月には43歳の若さで大阪府知事となった吉村洋文(45)とはいったいどんな人物なのか。コロナ禍で注目されたリーダーだが、その実像は全国にはあまり知られていない。「吉村洋文『勇気こそがリーダーに最も重要だ』」(2020年7月22日配信)に続く、独占インタビューの後編をお届けする。(取材は6月23日に実施)

維新の会副代表だが「党の支持率は気にしていない」

塩田 潮(以下、塩田):府知事の大奮闘が影響したのか、メディア各社の世論調査の政党支持率で、日本維新の会が野党トップ、全政党の中で自民党に次いで第2位という数字も目にします。知事として腕を振るうとき、一方で維新の勢力伸張、支持拡大も視野に入れていますか。

吉村洋文(以下、吉村):自分が思っていることをはっきりと発信していくのは当然だと思いますが、国政を意識することはあまりありません。国政に出てこうしたいという考えもないですね。僕は大阪市議の後、短い期間、衆議院議員をやり、3年3カ月の大阪市長を経て、大阪府知事となりました。大阪都構想を実現し、2025年の大阪・関西万博を成功させて、日本を引っ張っていく大阪にしていきたいという思いで、今は大阪の政治をやっています。正直なところ、あまり党の支持率は気にしていないんですよ。

塩田:といっても、日本維新の会の副代表を兼務しています。

吉村:確かに副代表です。帰属意識が薄いと怒られるかもしれませんが、政党支持率とか永田町の政治にあまり興味がなくて……。何よりも大阪をよくしたい、大阪都構想を実現させたいという強い思いでやっています。

塩田:昨年4月に知事に就任し、在任約10カ月でコロナ危機に遭遇しました。知事以前、大阪市長までの政治体験の中でいちばん苦労されたのはどんな点ですか。

吉村:大阪市議1期、9カ月余の衆議院議員の後、大阪市長になったときがいちばんしんどかったですね。2015年12月、辞任した橋下徹市長(元大阪府知事。元維新代表)の後任として、都構想をやろうというので市長となりましたが、最初の2~3カ月、予算を作るときがいちばんきつかった。国会議員や地方議員は大勢の中の1人で、すべてが背中にのしかかってくるわけではないのですが、予算編成でも 270万大阪市民の生活について、例えば待機児童問題など、何から何まで最後は自分が責任を負う立場になる。それで大阪市が動くわけで、そのときの責任感、大きなプレッシャーがいちばんしんどかった。

塩田:市長就任は40歳でした。市役所の官僚の動かし方、大阪市会との関係は。

吉村:初めて組織のトップになって、市の職員とも対応していかなければいけない。橋下さんが大改革をやってきた後ですから、スタートのとき、「おまえに何ができる」という空気も肌で感じました。

前任者が失脚した後とか、前任者とは反対の立場で市長選を戦ったという形なら、ある意味でやりやすいかもしれないけど、あれだけの改革の実績を残し、高い支持を背負っていた橋下市長の後を引き継ぎました。しかも方向性が同じです。バトンタッチと言われて、「おまえ、誰やねん」というところからのスタートで、「橋下さんみたいにはでけへんやろ」と言われ、バトンを受ける側のプレッシャー、ストレスをすごく感じました。

次ページそのプレッシャーをどう乗り越えたのか?
関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事