吉村洋文が大阪都の実現にトコトンこだわる訳 45歳の若き府知事が突き進んできた政治家の道

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塩田:どうやってそのプレッシャーを乗り越えたのですか。

吉村:乗り切り方は、できるだけ敵を作らないこと。橋下さんみたいな突破力で進むのは無理なので、仲間を増やしていこうと思いました。市長だから、最後は自分がキーですけど、組織を動かすとき、組織で誰がキーマンか、見極め、その人ときっちりやっていく。

もともと大阪を成長させるため、都構想を実現させるために市長となったのだから、ぶれない軸として、都構想を絶対にやり遂げるという思いでやっていこう、と決心した。そのために必要なことは何か、それをすべての価値判断にしようと思いました。それで、最後はなるようになると腹をくくりました。だめだったら、選挙で首を切られる。政治家は使い捨てでいいと思っています。

塩田:昨年4月、当時の松井一郎大阪府知事が大阪市長選に、吉村市長が府知事選に出馬して当選し、知事と市長が入れ替わりました。

大阪府の中に府と市が2つあるのを改めたい

吉村:無茶苦茶なやり方ですけど、都構想を実現させるために入れ替わりました。大阪市は都道府県のような都市です。都道府県の仕事と市町村の仕事の2つをやっています。港、大学、地下鉄、それから広域戦略、財政規模にしても、小さな都道府県より大きな仕事をやっている。大阪府の中に府と市が2つある。これを改めようというのが都構想です。

吉村洋文(よしむら・ひろふみ)/2015年10月1日に衆議院議員を辞し、橋下市長の後継として、同年11月22日 大阪市長選に当選。2019年4月に大阪府知事選に当選。弁護士の資格を持ち、家族は、妻と息子、双子の娘をもつ父でもある。座右の銘は「意志あるところに道は開ける」(撮影:ヒラオカスタジオ)

府知事は大阪市長と同じような仕事が多い。知事になって、4年弱の大阪市長の経験がすごく役に立っていると思います。市長の経験がだいぶ生かされているので、府知事になってから、仕事のプレッシャー、ストレスはほとんどないですね。

塩田:橋下元市長、松井現市長の2人は、府知事の後に大阪市長になりました。大阪市長の後に府知事というステップは「維新知事」で初めてですね。

吉村:そうですね。市長は待機児童、保育、介護、給食など、住民に身近な仕事も直接やります。大都市とはいえ、市民の皆さんと接する機会も多い。知事は直接、それはやらないけど、市長はこんなことを考えるというのが、僕の場合、頭でわかります。知事としてこういうことを応援しようとか、これは市長の責任でやってもらおうとか、判断がしやすい。とくに大阪市政について、そういうところがありますね。

塩田:大学卒業後のスタートは司法試験合格、弁護士登録です。なぜ弁護士の道に。

吉村:普通の中小企業のサラリーマンの家庭で育ちました。身近に法曹や政治家は誰もいません。ですから、小・中学生のときには思っていなかったけど、今から振り返ると、中学生のときに、公民の科目の資料に載っている憲法の条文を、面白いなと思って読んでいたんですよ。「法の下の平等」で、力がある人、金持ち、そうでない人も、法は平等に適用される。この世界は面白いなと思って見ていたんです。

中学のとき、勉強が結構できて、高校は地元の有名な公立の進学校に進んだ。中学までは、弁護士は別世界の人たちの仕事と思っていたけど、高校のとき、学校に来たOBの弁護士、企業経営者、政治家などの話を聞く機会があり、身近だなと思った。高校生のとき、狙ったら行けるのでは、と思い始めました。

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