日本の社会保障、どこが世界的潮流と違うのか カンヌ受賞作に見るデジタル化と所得捕捉

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しかし、このユニバーサル・クレジットは、それなりの長所を持っている。運用面で、あそこまで弱者を傷つける非人間的な仕組みにしないでおけば、ケン・ローチ監督もああまでも徹底的に批判はしなかっただろうと思う。

もっとも、こうした所得調査付きの給付を導入するためには、国が国民の所得を把握しておく必要がある。イギリスでは、長く時間をかけてその前提条件を整備していた。日本を振り返れば20年も前の2001年に森内閣の下での「e-Japan戦略」でも「わが国が5年以内に世界最先端のIT国家となることを目指す」とされていたのであるが、この国では、この手の話はかけ声ばかりがその後続くことになる。

本当に困っている人がわからない日本

最近のイギリスにおける「即時的情報(Real Time Information)計画」をはじめ、以前からアメリカの社会保障番号などが整備されてきた状況を考えれば、国民の所得、生活の状態を国が把握できていないということが、今や先進国の中の日本の際だった特徴になりつつある。

日本では、住民税非課税世帯であるかどうかの情報くらいしか国側からはわかっておらず、今回の新型コロナウイルスが襲った国民の生活を、政策として支えようにも誰が本当に困っているのか、残念ながらよくわからないのである。

タックス・クレジット(給付付き税額控除)のような就労福祉を行うためには、所得の随時捕捉は必要であるから、それを行う国では、そうしたインフラの整備が進められてきた。だからそうした国々は、国民の所得情報を用いて給付対象を識別し、要望を待たずに連絡する「プッシュ型支援」を実行できる。このインフラがあったからこそ、今回のコロナ禍では、所得に応じて支援に濃淡をつけることもできていた。

日本には、給付を受ける側からの申し出を待たずにそうしたことができるインフラはない。だから、スピードを要する場合には全員に均一の給付を行うということになってしまい、必要な人には不足しており、そうではなく本来は被害者を支える側にいてしかるべき人にも配られてしまうことになるのである。

しかも広くみんなに配るために、費用は巨額にのぼる。わたくしは昔から「広さの怖さ」と呼んでいるが、とにかく広く配るというのは、みなの想像を超えて巨額が必要になる(『ちょっと気になる社会保障 V3』271ページ「国家財政の広さの怖さと広さの強み」参照 )。1万円を1億2600万人に配れば1兆2600億円、10万円ならば12.6兆円になる。2020年度予算における国防費は約5.3兆円である。

今回も総花的に広く配ったために「世界一」と言われる額が配られたわけだが(海老原嗣生氏「本当に世界一だった日本の経済支援策」参照)、別に新型コロナの件に限らず、日本では災害や経済ショックが襲ってくる度に、とにかく総花的に配ってきた。

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