京アニ放火から1年、「酷似事件」に探る"先行き" その事件は京アニ放火と同じ7月に起きた…

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造田死刑囚は包丁と金づちを持って、1999年9月に東京・池袋で通行人を襲って2人を殺害している。青葉容疑者の場合は、高見死刑囚のように精神状態が影響したというより、むしろ造田死刑囚のように、大量殺人に走る人物像に共通するところがある。

大量殺害事件を引き起こす人物には、いくつかの共通点を見つけることができる、と私は以前に書いた。項目だけを列記すると、以下のようになる。

① 恵まれない境遇に対する不満、こんなはずではなかった、という欲求不満が蓄積する
② 自分は悪くない、正しい、周りが間違っている、という“他責的傾向”が強い
③ 孤立
④ 自己顕示欲が強い
⑤ 犯行を肯定する独善的な論理や大義が加わる

アニメへの憧れと固執。自分もその世界に入りたいと小説を書く。それが認められない不満。そんなに自分の書いたものはおかしくないはずだ。それが認められないのは、向こうに問題があるのではないか。

それが、あるとき、自己顕示欲の強さと重なって、自分の作品とそっくりなものがある、と思い込む。盗むような奴には復讐しても構わないという、独善的な結論に至る。そこに一貫しているのは孤立だ。

青葉容疑者の言葉が物語るもの

青葉容疑者は、入院していた病院関係者について「こんなに優しくしてもらったことはなかった」と語ったとも報じられている。積年の孤立を感じさせる言葉だ。

医療関係者の献身の努力で一命を取りとめた青葉容疑者。逮捕後に犠牲者の数を初めて知って「2人ぐらいと思っていた。36人も死ぬと思わなかった」と供述しているともいう。人が死ぬとわかっていたことは明らかで、前例からしても、責任能力は問えるとして起訴されるはずだ。

そのとき、この3月に控訴を取り下げて死刑判決が確定した、相模原障害者施設殺傷事件の植松聖死刑囚のように、法廷で多くを語らず、事件と向き合うことを避けるようなことにだけはなってほしくないと願うばかりだ。

青沼 陽一郎 作家・ジャーナリスト

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あおぬま よういちろう / Yoichiro Aonuma

1968年長野県生まれ。早稲田大学卒業。テレビ報道、番組制作の現場にかかわったのち、独立。犯罪事件、社会事象などをテーマにルポルタージュ作品を発表。著書に、『オウム裁判傍笑記』『池袋通り魔との往復書簡』『中国食品工場の秘密』『帰還せず――残留日本兵六〇年目の証言』(いずれも小学館文庫)、『食料植民地ニッポン』(小学館)、『フクシマ カタストロフ――原発汚染と除染の真実』(文藝春秋)などがある。

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