「罪人」という宣告は、パヌルー神父にとっては「神の真理」という絶対的なものを知らしめるために不可欠なものでした。しかし、この「神の真理」が「自由な人間」と衝突します。この宣告を受け入れてしまうやいなや、人々はあらがうことをしなくなってしまったからです。「神の真理」は完全無欠なもの。だからこそ、この真理に依存し、ペストと闘うことを早々に諦めてしまう(闘う自由を放棄する)。「実存主義」の思想家たちの示す「自由な人間」ではない人々です。
「自由」な人間であり続けるために
カミュは、リウーを借りてこんな思想を伝えています。
「この世が死という掟に支配されている以上は、神様だって、人々が自分を信じないことを望んでいるのかもしれません。そうして、全力で死と戦ってくれたほうがいいんです」
なかなかシニカルな表現ですが、私たちが頼るべきは「神の真理」ではなく、私たち自身であるべき――。これがカミュをはじめとする「実存主義」の根本です。
自分以外のなにものか、それがたとえ神であり、真理であっても、そのなにものかに頼ることは、己の自由を放棄した卑怯な人間になっている、ということなのです。
一方、タルーとリウーは、人々が諦めていく中で保健隊を組織することを決めます。
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