伊勢谷友介「挫折禁止で、僕は環境問題に挑む!」 逆風に耐えた10年間から見えた「一縷の希望」
福田:「リバースプロジェクト」を続けてきて、どうでしたか?
伊勢谷:僕は「消費者が変われば社会も変わるだろう」と信じて、リバースプロジェクトを10年以上やってきました。でも、僕なんかが1人でちょこちょこ活動をしても、何も変わらなかった。それがすごい挫折感でした。
10年前でも「遅すぎた」環境問題への取り組み
伊勢谷: 20代後半からいろいろ動き始めて、株式会社にしたのが2009年。当時は「環境起点の会社」というのは、ほとんどなかったと思います。もちろんうまくいかないことだらけで、逆風の中、なんとか存在し続けることで自分を保ちながらやってきました。こういうコンセプトの会社が続かないなら、そんな社会どうにかなっちまえと思っていたくらい(笑)。
福田:いまは日本でも「サステイナブル」や「エコロジカル」といったブームが定着し始めています。10年以上前から活動を始めた伊勢谷さんは、先見の明というか、早すぎたのかもしれませんね。
伊勢谷:早すぎたかどうかはわからないけど、当時は本当に叩かれました。「二足のわらじを履く」、つまり俳優をやったり監督をやったりしながら、環境活動をするのがよくないと批判されました。閉塞感もすごくて、苦しい時代でしたよ。
福田:いまでこそマルチに活動していくのが当たり前になっていますけどね。周回遅れで、ようやくみんなが追いついてきたという感じですね。
伊勢谷:実際には、みんななかなかついてきてくれないですよ。僕からすれば、環境問題を「本気で」考えていない人が多いように思えてなりません。
福田:一貫した、不屈の精神がすごい。
伊勢谷:他人の意識を変えるなんて、本当に難しいことです。いまだに「自分たちが何かしても、どうにもならない」って考える人がほとんどですよね。さらに「経済を優先しなければならない」という論理が立ちはだかる。でも、ここで挫折するわけにはいきませんから。
福田:でも、いまや伊勢谷さんはオピニオンリーダーとしての位置にあると思います。
伊勢谷:本当は10年前だって遅すぎるんです。僕らが生まれる前から環境問題についてのデータはあったはずです。でも、当の人間がずっとそれを無視してきた。最近の気候変動で、多くの人がやっと実感するようになりましたが。
福田:確かに。2011年に東日本大震災が起きたとき、「物を大切に使おう」といったエコ意識が社会的に広がった。でも、その後の景気拡大でもとに戻ってしまった。これがこの10年間ですね。