コロナで考えざるをえない自分や近親者の生死 生命は究極的に制御不可能でありいずれ終わる

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仮に、先の「65歳以上の人びとは『すでに遺体』」という極端な考えを「生産年齢人口」的な立場から肯定した場合、その時点で「(高齢者となる)未来の自分自身」をも「遺体」として扱われる側になることに同意したということになるのだ。これは「生産性」という尺度の暗黒面といえる。

前出の記事に登場するヒューマン・ライツ・ウォッチの高齢者の権利担当調査員ベサニー・ブラウンが、「高齢者の平等権が無視されれば、それはわたしたち全員が危機に直面しているということにほかならない」と警告したのは、このような「時間」経過によるブーメランの側面も含意されていたと考えるべきだろう。

目下、「withコロナ」(コロナとの共生) に関する議論が盛んに繰り広げられているが、そこで重要になるのは「新しい生活様式」「ニューノーマル」などという表層的なフレーズで表されるものではなく、先述したようにわたしたちが普段語ることを避けている「生と死の問題」への向き合い方である。

今回の感染症による日本での死者数は、現状では欧米諸国などに比べて多くはないとされているが、とくに4月上旬から5月下旬にかけて発令された緊急事態宣言の状況下などにおいては(実際のリスクの有無に関係なく)「もし自分が感染して死んでしまったら……」といったふうに、「死の可能性」を考えた人は少なくなかったと思われる。

「身体の限界」を突きつけられる

もちろん、さまざまなメディアが批判しているとおり国家レベルの過誤によって助かる命も助からないという人災の側面も当然あるわけだが、「生と死の問題」の本質は、感染症対策を徹底していても感染・発症することが起こりうること、適切な検査や治療が施されても助からない場合がありうるという部分にこそある。このような「身体の限界」を突きつけられる局面は、何も新型コロナウイルス感染症に限ったことではない。

イギリスのウェールズ・カーディフ大学の緩和医療教授で、医師でもあるイローラ・フィンリー氏は、コロナ禍という状況下で万が一の場合に備えて、「もし自分が死んだらどう扱ってほしいのか、誰もが考えて、近親者に伝えるべきだ」と言った。

「これまでは何でも自分の思うとおりに準備できると思っていた人たちがいよいよ、気づいたわけです。私たちは常に不確かな状態で生きていると。今ではその現実を、真正面から突きつけられているのです」と、フィンリー医師はBBCに話した。
「そこで今や考えなくてはならないわけです。『本当に大事なことは何なのか』と。大切な人たちとどういう話をしておくべきなのか。それも今。明日とかあさってではなく。そして何と言っておくべきなのか」(「死について話をしておいて」 新型コロナウイルスで英医師たち/2020年3月31日/BBC News)
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