小6で「自分は養女」と知った女性の数奇な人生 養父は働かず、養母は任侠の人と再婚

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いちばんよく覚えているのは、莉恵子さんが高学年のとき、裏の家に住んでいたおばさんが生理用品を買ってきてくれたことでした。よくおばあちゃんとおしゃべりに来るこのおばさんが、縁側から莉恵子さんを呼んで「こういうの、もう用意した?」と聞いてくれたのです。

「学校で話は聞いていたけれど、買いに行くのも、おばあちゃんに言うのも恥ずかしかったので、それはよく覚えています。今思うと、なんてすばらしい人だろうって。

昔と違って、いまはNPOの支援とかあるけれど、全面的に世話を焼きすぎちゃうと、世話を焼いている人が優位になっちゃうと思うんですよね。『あの子はかわいそうだから、ご飯を食べさせてあげている』みたいになると、子どもでもわかってしまう。でも『もう時間が遅いから、食べていきな』だったら、『あ、すいません』って食べていける。そのほうがいいのかなって」

そこら辺にいる人の、日常的な、さりげない親切。これがもしあらゆる子どもに行き届くなら、いちばん理想的かもしれません。ただ、時代が変わり、家屋に縁側もなくなったいま、大人の目が行き届かない子どもは多いのが現実です。

コワモテでも面倒見のいい養母の再婚相手

小学生のときに家を去った養母のもとで暮らすようになったのは、莉恵子さんが高校に入ってからでした。今振り返ると「なんで中学のとき、さっさと母と暮らさなかったんだろう」と思うそうですが、当時は「その選択肢が、全然自分になかった」といいます。

もしかすると、母親が再婚していたせいもあったでしょうか。当時、母親は「任侠の人」と結婚していました。顔も身なりも、イメージ通りの強面の人。しかし意外なことに、中身はだいぶ違ったようです。

「高校生のときはそんなになじんでいなかったんですけれど、だんだんですかね。今はもう(その世界からは)足を洗って別の仕事をしています。私が20代で結婚したときは、当時の旦那を吟味したり、式のお金も出したりしてくれて。娘が生まれたら、もうすっごいかわいがってくれて。その頃から、私が『お父さん』って呼ぶようになりました。

11年前に母が亡くなってから、一度明け方に、すごく胃が痛くなったことがあって。お父さんはそのとき夜勤の仕事だったんですが、電話したらすぐに帰ってきて、病院に連れて行ってくれて。そういうのって、亡くなった(養)父にしてもらって以来だったので、親ってありがたいな、みたいな」

いろいろ話を聞くと、この「お父さん」も、小さい頃近所にいたおばさんたちと似て、ずいぶん面倒見のいいタイプのようです。今でも、莉恵子さんは「お父さん」と月に一度は電話で話し、ときには突然お土産を届けてもらったりしているとのこと。

過去を振り返って、莉恵子さんはこんなふうに話します。

「よく親がこうだから子どもがかわいそう、とかっていうけれど、私が育ってきた環境では、『親は親、子どもは子ども』って、別枠で考えてくれていた気がするんです。親はあんなだけれど、とりあえず近所の子だから当たり前に気にかける、みたいな。今の子も、そんなふうに見てもらえるといいなって」

20代のときに産んだ娘さんは成人して、すでに家を離れています。勤務先にも恵まれているという莉恵子さんは、「今が、いちばん落ち着いている」と言います。

取材のお礼を伝え、ビデオ通話を終了した頃には雨はあがっていました。いつの間にか雷は遠ざかり、空はこれから放つ光を蓄えているようでした。

大塚 玲子 ノンフィクションライター

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おおつか れいこ / Reiko Otsuka

主なテーマは「いろんな形の家族」と「PTA(学校と保護者)」。著書は当連載「おとなたちには、わからない。」を元にまとめた『ルポ 定形外家族』(SB新書)のほか、『PTAでもPTAでなくてもいいんだけど、保護者と学校がこれから何をしたらいいか考えた』(教育開発研究所)『さよなら、理不尽PTA!』(辰巳出版)『オトナ婚です、わたしたち』(太郎次郎社エディタス)『PTAをけっこうラクにたのしくする本』(同)など。テレビ、ラジオ出演、講演多数。HP

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