ミウラのデザイン開発が動き出すころ、ジウジアーロはすでにベルトーネを辞しており、後任のガンディーニが腕を振るっていた。ミウラのスタイリングを最終的に完成させたのが、ジウジアーロではなくガンディーニであるのは間違いないであろう。
しかし、このような少し込み入った経緯から、生誕50年を過ぎた今でも、ミウラのスタイリングを生み出したのは誰かという“ミウラ論争”が終わらない。これは、ミウラの美しさが際立っていることの裏返しでもある。
ミウラのスタイリングのテーマは至極オーソドックスであり、古典的レースカーに見ることのできる美の集大成とも言える。
しかし、その魅力はそれだけではない。まだ熟成されていなかったミッドマウントエンジン・スポーツカーのプロポーションや、スタイリングの在り方を確立した点だ。さらにディテールを見るなら、クラシカルな中にも未来的な要素がほどよいバランスで組み込まれてもいる。見事である。
“スーパーカー”に求められるフィロソフィー
ミウラは、当時のレースカーが取り入れた最新のテクノロジーを随所に反映させた贅沢な作りのロードカーであるが、あくまでもその雰囲気を楽しむためのクルマだ。
レースカーのように、ただ速く走ればいいというモノではない。エキサイティングな運転を満喫できて、充実感を顧客に与えることが、ミウラにとって重要であった。
“スーパーカー”として求められるフィロソフィーを完璧に備えたミウラは、スーパーカー界の象徴として、その輝きはいまだ色あせていない。しかし、このような大きな反響を呼んだ名車が、モデルサイクルが長かった当時、たった5年で生産終了し、750台あまりしか作られなかったのは不思議ではないか。
また、ここまでミウラに勢いがあったのだから、レース活動にチャレンジしようというプランの1つもあって不思議ではない。この名車ミウラに関する好奇心は尽きないが、またの機会にこれらの答えを含む続編を書いてみようと思う。
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