このミウラは、チーフエンジニアであったダラーラのモデナ地区における多彩な経験から生まれたと言ってよいであろう。
彼は大学卒業後、フェラーリのエンジニアとなり、続いてマセラティで名車「バードケージ」などのレースカー開発に携わった。そういうキャリアを経て、草創期のランボルギーニへと加わっていたのだ。
従って、彼はライバルメーカーをよく理解していた。フェラーリが技術的にコンサバティブで、冒険を嫌うというエンツォ・フェラーリのフィロソフィーで動いていることも……。
新しいことを試みればリスクは高まるし、開発コストも上がる。フェラーリの市販スポーツモデルは、すでに皆が競って欲しがる人気のクルマだったから、なおさらそのポリシーは強固であった。
ダラーラは考えた。フェラーリのアンチたる存在で売るランボルギーニは、それとは真逆で攻めるべきだ。新しい思想を取り入れた革新的、未来的ブランドとなることがランボルギーニの生きる道であると。
だから、迷うことなくミウラにミッドマウントエンジンを採用した。フェラーリがミッドマウントエンジン・モデルをそう簡単には出さないことをわかっていたのだ。
イノベーティブを好むアルフィエーリの影響
ダラーラは、フェラーリの次に在籍したマセラティで出会ったチーフエンジニアのジュリオ・アルフィエーリからも、多くの影響を受けた。
アルフィエーリは、スターリング・モスをはじめとする多くのドライバーに愛された「250F」を皮切りに、バードケージ、そしてロードカーである「ギブリ」や「ボーラ」というマセラティの歴代名車の開発を主導した。
彼は何よりもイノベーティブであることを好み、絶えず新しい取り組みに没頭した。そこで、ダラーラが出会ったのは、彼の開発した1.5リッターのコンパクトな横置きV12エンジンであった。
このレイアウトからインスピレーションを得て、彼は全長が長くならざるをえない縦置きではなく、横置きのエンジンレイアウトをミウラに取り入れた。
エンジンとトランスミッションやデフなどを一体化し、大排気量の大型エンジンをうまくレイアウトすることに成功したのだ。
ボディ製作においても、イタリアの大型スポーツカーとしては未経験であったモノコック化に挑戦した。
当時、ほとんどの大型スポーツカーは、梯子のようなフレームにエンジンを取り付け、そこにボディを載せるという構造だった。しかし、ダラーラは軽量化と高剛性化を両立させるために、レースカーで採用されはじめていた、ボディとフレームが一体となる構造の設計に挑戦した。
そしてミウラが絶賛される理由の2番目は、その美しいスタイリングだ。
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