勝負師が語る「流れに乗れる・乗れない人」の差 桜井章一「流れを止めると運は逃げていく」

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麻雀がツモって切る、捨てるという行為を繰り返す中で「流れ」が生まれるように、知識だってなんだって、不要になったら捨てることで「流れ」が生まれる。その流れがどこかでせき止められたら、よどんで腐臭を発するようになるんじゃないだろうか。

きれいに捨てることができるか? 捨てることのほうが大事だし、難しいことだと思う。だからこそ何でも得よう、自分のものにしようというのは不自然なことだし、間違っているのだと思う。

麻雀は流れを重んじるけれど、同じように自然にも流れがある。自然の摂理が麻雀というゲームの卓の上でも展開するのだと思う。流れは一方的なものではなく、循環している。海の水は蒸発して雲になり、それが風に流されて陸地や山にぶつかることで雨や雪を降らす。

麻雀の卓にも自然の摂理が現れる

その水は渓谷を下り、平野に流れ込み大地を潤す。それによって草木や農作物が育つ。そして大河の流れとなって海に注ぐ。この地球にはこうした水の大循環があるからあらゆる生き物が生きることができる。また大気だって樹木や草の緑が二酸化炭素を取り込み、酸素を吐き出す。一方で動物たちはその酸素がなければ生きていけない。酸素を取り込んで二酸化炭素を吐き出し、エネルギーを取り出している。

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大気の循環があるから、あらゆる生物が生き永らえることができる。あるいは食物連鎖もあるよね。草木が太陽エネルギーを光合成によって固定化し、根や葉、実をつける。それを草食動物が食べ、肉食動物が草食動物を食べる。それらの個体が死ぬと微生物によって分解され、草や木、農作物の栄養素となる。

私たちの肉体も、血液が循環しているから命が保たれている。あらゆるものが必要な形で循環し、互いを支えている。それが自然の実相であり、命の実相でしょう。循環するものは大事だし、それを大切にしなくてはならない。誰かがその流れをせき止め、自分だけ得ようとしたら循環は止まり、結局自分も含めてすべてが死んでしまう。

麻雀の卓にも、そんな自然の摂理が現れると言いました。だから相手を邪魔する麻雀ではなく、相手が必要としているものを投げかける。そして相手の手助けをする。そういう気持ちで麻雀を打ち、思考と行動で実践することが、理にかなっていると考えている。

桜井 章一 雀士、経営者、作家

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さくらい しょういち / Shoichi Sakurai

1943年東京・下北沢生まれ。大学時代に麻雀を始め、裏プロとしてデビュー。以後、圧倒的な強さで20年間無敗で勝ち続け、「雀鬼」の異名をとる。現役引退後は、「雀鬼流漢道麻雀道場 牌の音」を開き、麻雀を通して人としての道を後進に指導する「雀鬼会」を始める。モデルになった映画や漫画も多く、講演会などでその雀鬼流哲学を語る機会も多い。著書に『負けない技術』『流れをつかむ技術』『運を支配する』『感情を整える』『群れない生き方』など多数。

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