木村花さんの死が問う「虚構に踊る人々」の愚鈍 誰に強制されるでもなくスマホに呪詛を吐く
リアリティー番組の制作サイドは、前述した通り、ある種の「炎上商法」による相乗効果を見込んでストーリー展開、つまりはネットのバイラル性に火を点けるだけの迫真性を盛り込むことに躍起になることから、例えソーシャルメディア上で「炎上騒動」が勃発しても、一般的に番組のヒットに伴う「有名税」的なものとして軽んじやすい。すでにフジテレビは放送後の誹謗中傷を静観していたとの指摘もなされている。
つまり、注目されることを至上命令とするアテンション・エコノミー(関心経済)は、道義性などそっちのけで話題性のあるコンテンツ作りを要求し、中身はどうあれバズることを最高の価値とするプラットフォームを推奨するのである。
しかし、問題はそれだけでは終わらない。最大瞬間風速的な喜怒哀楽の感情の表出と共有を尊ぶソーシャルメディアのバイラル性にとって、リアリティー番組のような「虚実皮膜の物語/キャラクター」や、「アイロニー(皮肉、反語)」といった「引いて見ることに妙味」がある表現との相性が非常に悪いからだ。
「辛辣なジョークのつもり」が職場を解雇される事態に
2013年に起こったジャスティン・サッコの事件はその好個の例として語り継がれている。彼女はヒースロー空港で飛行機に搭乗する前にTwitterを立ち上げてあるツイートをした。
「アフリカに向かっています。AIDSになりませんように。なんて、冗談よ。私は白人だもの」
本人にとっては「ただの辛辣なジョークのつもり」だったが、目的地に着く頃にはネットで大炎上し、その数時間後には職場を解雇されたのである。
オリバー・ラケットとマイケル・ ケーシーは、『ソーシャルメディアの生態系』(森内薫訳、東洋経済新報社)の中でこう論評してみせた。
だが、ソーシャルメディアはアイロニーの扱いに長けていない。
つまり、過去の履歴を知っているフォロワーなどから見れば、「いつもの辛辣なジョーク」として受け取ってもらえたかもしれないが、門外漢の目に触れた途端「ヘイトスピーカーの差別発言」としか捉えられず、即席の「デジタル人民裁判」とでも評すべきネットリンチへと発展したのであった。
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