木村花さんの死が問う「虚構に踊る人々」の愚鈍 誰に強制されるでもなくスマホに呪詛を吐く

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2019 スターダム YEAREND CLIMAXに出場した木村花さん(写真:平工幸雄/アフロ)

リアリティー番組「テラスハウス」(フジテレビ系、ネットフリックスで配信)の出演をきっかけに誹謗中傷が相次ぎ、死に追い込まれた女子プロレスラー、木村花さんの事件をめぐり波紋が広がっている。特に海外では、リアリティー番組の出演者の自殺が多いことから、大きく取り扱われている。

言うまでもなく匿名で個人攻撃を行なったネットユーザーに最大の責任があるが、この問題の本質は、ローコストで人々の注目を集めて利益を上げたいコンテンツ制作サイドの強引な手法と、感情の拡散・増幅装置であるソーシャルメディアの特性が「最悪の形で」組み合わされて顕在化した悲劇という面がある。

「作為」がまったくないリアリティー番組はあり得ない

リアリティー番組の魅力の1つは、先の読めない展開だ。それがあらかじめ準備されたアクシデントではなく、本当のアクシデントであるから、その臨場感がテレビドラマとは異なる「身近さ」を与えてくれるのである。だが、そもそも「作為」がまったくないリアリティー番組というものはあり得ない。場所やメンバー、ルールやシチュエーションなどの設定自体が制作サイドで用意されている場合がほとんどで、隠しカメラを含む複数のカメラが入り込み、凝った編集が施されている時点で、すべてが「虚構」に様変わりするのである。

これは「やらせ疑惑」そのもの以前に認識すべき重要な点だ。しかし、あらかじめ台本がないとか、出演者を一般人から募っているとか、ドキュメンタリータッチの風味を加えているため、普通のドラマと比べて相対的に「本物っぽさ」が醸し出されるに過ぎない。

近年、このようなリアリティー番組が雨後の筍のように生まれて世界的に消費されているのは、テレビドラマよりも圧倒的に低予算で作れてヒットした際に大きな収益が見込めるからだ。しかも、上記の「本物っぽさ」が呼び込む視聴者の「感情の動員」は、ヒットを生み出す基本的な条件であるとともに、ソーシャルメディアの口コミによる拡散(バイラル・マーケティング)との親和性が極めて高い。

木村さんがソーシャルメディアで誹謗中傷されるきっかけになったのは、番組内での「素行」だったといわれている。とりわけ自身のプロレス用衣装を同居の男性に勝手に洗濯され、傷んでしまったことに対して激怒したエピソードが決定的だったようだ。木村さんは「一緒に住むんだったら、人のこともっと考えて暮らせよ。限界だよ、もう」と嘆息。「本当ごめん。〝ごめん〟しか言えない」と繰り返し謝る男性に、「ふざけた帽子かぶってんじゃねえよ」と男性の帽子を掴んで投げ落としたのである。男性がその後退去したことも手伝って、ソーシャルメディア上で批判の声が殺到。陰湿な個人攻撃へと発展した。

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