ポストコロナ「日本特殊論」との決別が必要な訳 過去に倣いパンデミックは世界の秩序を変える

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まず中世のペストです。カトリック教会が欧州の人々の精神的支柱であると同時に、欧州の社会と生活を事実上支配していた時代ですから、当然のこととして、人々は救いを求めて教会に殺到しました。当時の人々はもちろんそれを知りませんが、至る所が「3密」の空間となったことで、ペストは一気に拡散しました。結果、ペストの脅威の前に無力を露呈したカトリック教会の権威は失墜します。

ペストにより欧州の人口の3分の1が失われたといわれています。人口の減少は社会構造に変化を与え、中世の封建制度のヒエラルキーの下で最下層にあった人々の地位が相対的に上がったことで封建制は動揺しました。そして、封建制の揺るぎとカトリック教会の権威の失墜により、国家が政治の中心となる近代的な社会が誕生したのです。つまり、教会が支配した中世から国家が支配する近代への変化は、ペストを重要な1つの起因としていたのです。

歴史上最悪のパンデミックと言われているスペイン風邪は、第1次世界大戦の戦況や戦局、趨勢に大きな影響を与え、さらに、戦後の国際機関の誕生の流れに竿をさしました。

スペイン風邪は、第1次世界大戦最中の1918年から世界中で大流行しました。正確な数字は明らかではありませんが、世界全体の死者数は1700万人から5000万人とも推定され、第1次世界大戦の戦死者推定1600万人をはるかに上回ります。スペイン風邪は当然のこととして、ドイツやフランス、イギリスなどの交戦国にもその兵士にも蔓延し、とりわけ感染拡大により戦争継続が困難となり、ドイツ敗北の遠因となったと指摘する研究もあります。

ドイツ敗戦の遠因となり、WHOを生んだスペイン風邪

第1次世界大戦中、交戦国は国内や軍隊での感染の事実を公表していませんでした。軍隊の士気の低下や、志願兵の減少を懸念したからです。唯一、国内のパンデミックを公表したのが中立国のスペインでした。それをメディアが世界中に発信したため「スペイン風邪」の名を残すことになってしまったのです。

スペイン風邪の発生源には諸説ありますが、アメリカ起源説も有力です。1917年にアメリカが欧州戦線に参戦したことがきっかけで、欧州に蔓延したと推測されています。つまり、兵士の移動でアメリカとヨーロッパが繋がれたことにより、感染症が拡大したと考えられました。いわゆるグローバル化の流れですね。

戦後、設立された国際連盟は、こうした分析を基に、国際的な協力なしには感染症には対処できないという認識を深め、1923年に国際連盟保健機関が設立されました。その後、保健機関は今日の世界保健機関(WHO)へと引き継がれます。

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