福島の原発事故のあと、私たちは「福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)」を立ち上げ報告書を刊行しましたが、その経験を踏まえ、第2弾のプロジェクトとして「日本政権のための危機管理」のあり方を研究し、『日本最悪のシナリオ 9つの死角』(新潮社、2013年)という緊急レポートを刊行しました。9つの死角として「尖閣衝突」「国債暴落」「首都直下地震」「サイバーテロ」などとともに「パンデミック」も取り上げました。「医療が消えた日」という副題をつけ、当時、東京慈恵医大の准教授だった浦島充佳先生に執筆していただきました。
「未知のウイルスが猛威を振るうなか、人工呼吸器などの医療機器、医師や医療スタッフの不足により医療現場は崩壊の危機に直面する。問題解決の糸口となるのは『死ぬ順番』を決められるかどうかなのだが……」という非常に衝撃的な内容でしたが、実際に、私たちはいま、その「最悪のシナリオ」の危機に直面しています。
ただ、浦島先生に執筆をお願いし、恐ろしいほど迫真性のある最悪のシナリオを描いていただいたにもかかわらず、パンデミックの危機に関しては十分にイメージできませんでした。今、改めて浦島先生の慧眼に驚くと同時に、自らの不明を恥じています。同時に、日本がコロナウイルスの脅威を前に「最悪のシナリオ」に向かわないために何が必要なのか、それをしっかり見ておかなくてはと思っています。
日本特殊論の誤謬
その1つが、「日本特殊論」の幻想を持たないことだ、と思います。福島のときも最初の1、2日は「日本の技術があれば、最終的にはメルトダウンは食い止められる」と祈るようにそれでも日本を信じていました。しかし、その楽観は3月14日の午前11時に3号機の建屋が爆発したとき、吹っ飛びました。
今回も、正直に申し上げれば、「日本は何とか持ちこたえるのではないか」というような、祈りにも似た気持ちが私の中にはまだあります。専門家会議の尾身茂副座長は「2009年、新型インフルエンザの流行を抑え込んだ成功の体験をもとに今回も『日本モデル』で成功するよう希望している」と述べていますが、私もそのような「希望」を持っています。
しかし、もし、そうなったとしても、それを「日本特殊論」、つまり日本人は我慢強いから、とか、日本人は組織的団結をするから、といったそういうある種の文化論は信じないことにしています。もちろんそうした国民性や民度といった要素を無視することはできませんが、安全と安全保障は、そうした文化論に甘える余地のほとんどない国力と技術と備えと、冷酷なリスク評価とリスク管理、そして確率論的リスクと、そしてリーダーシップの分野です。
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