ずさんな報告でも第三者委員会が権力を握る訳 信頼性に乏しい報告書が量産され続けている
危機に瀕したというよりも、すでに死を宣告された組織を調べる現場に、「第三者の目を入れる」という知恵が生まれたのは、皮肉なことだった。ともあれ、この画期的な仕事が、その後第三者委員会という実務に発展していったのは、紛れもない事実なのである。「とにかく真実を明らかにしたい」という思いから立ち上がった当時の第三者委員会は、十分社会的な意義を持っていた。それを認めるのに、やぶさかではない。
21世紀に入り、「暗黒の11月」が「序章」にすぎなかったことを、われわれは痛感した。バブル崩壊の後遺症もあって、数多くの企業の不祥事も明るみに出た。そして、前世紀末に産み落とされた「問題の原因追及などを外部の第三者の手に委ねる」という手法も、多用されるようになっていく。
だが、数が増えるにつれ、「第三者委員会」という看板が独り歩きを始めるようになる。第三者委員会とは名ばかりの、信頼性に疑いを持たざるをえない「調査報告書」が目立ち始めたのである。
疑惑続出で委員会が3つ設置される
2009年、彼らがいかにデタラメな仕事をしているのかを白日の下にさらす、ある「事件」が起こる。2008年10月、自動車部品メーカー、フタバ産業に過年度決算の不正会計処理が発覚し、事実の解明などを目的とする「第三者委員会」が設置される。
ここまでは普通なのだが、この事案では、委員会が報告書を出すものの、次から次に新たな疑惑が浮上して、結局短期間に3つの委員会が設置され、それぞれ異なる結論を語るというドタバタぶりを露呈してしまったのだ。
3つの委員会の結論は、おおむね次のようなものだった。会社が最初に立ち上げた「社外調査委員会」(09年3月に報告書を公開)は、不適切な会計処理の原因が経理の社内管理体制の不備にあり、意図的なものとは判断できない。また、不正支払いについては、「ルールを軽視」という企業風土の表れだ――といった程度の結論を出した。
しかし、続く「特別調査委員会」(同年5月に報告書を公開)では、一部の役職員が実質子会社に対して不正な金融支援を行ったことを公表するとともに、こうした不適切な取引を生じさせた一番の原因を、役職員の順法意識の欠如およびそれを助長する社内風土にあった、と断じる。
そしてトリの「責任追及委員会」(同年7月に答申)になると、代表取締役をはじめ不正出金に関わった元役職者4名に加え、不正を止められなかった当時の取締役9名についても、損害賠償責任ありと認定する。さらに、前4名に対しては、会社が訴訟を提起するよう促したのである。
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