ずさんな報告でも第三者委員会が権力を握る訳 信頼性に乏しい報告書が量産され続けている
「当初は今回の事態の経営責任を明らかにするためには、ただちに職を辞するべきだと思っていたが、残された責任があると思い直した。本件に関わる問題を徹底的にあぶりだすため、第三者委の調査に真摯に対応することが、経営トップとして課せられた最後の責務であると考えた」(「産経デジタル」2019年10月9日)
「本件」とは、2019年9月、会長、社長をはじめとする関西電力の幹部20名が、関電高浜原発が立地する地元自治体の元助役から、総額3億2000万円に上る金品を受け取っていたことが発覚した事件のことである。発言の主は、八木誠会長(同日辞任)とともに「辞任会見」に臨んだ岩根茂樹社長、その人だ。
問題発覚後、繰り返していたはずの「(金品授受は)不適切ではあったが、違法ではない」「再発防止をしっかりやることで経営責任を果たす」という発言との抜きがたい矛盾は、とりあえず置こう。私が読者に注目してほしいのは、大企業などの不祥事が世間に明らかになるや、その手で速やかに外部の有識者メンバーなどによる「第三者委員会」が組織され、渦中の人物がその調査への協力を約束するという、もはや見慣れた風景そのものにほかならない。
では、なぜそうした組織がこれほど幅を利かすことになったのだろうか?第三者委員会の問題点とその原因をあらためて整理するとともに、この疑問に答えていきたいと思う。
第三者委員会は、どうやってできたのか
まずは、その出自から話を始めることにしよう。この仕組みは、いつどこで生まれたのだろう?「問題を起こした組織や団体を、それと無関係の外部の人間が厳しく調査し、再発防止策も含めたレポートを提出する」というと、いかにも「欧米的」に感じられるのではないだろうか。
すでにおわかりのように、第三者委員会の報告書には、「組織のコンプライアンス欠如」を指摘するものが少なくない。そうした概念を普及、徹底させる仕組みとして、それらと同時に「輸入」されたように感じても無理はないのだが、実際は、そうではないのである。第三者委員会は、純然たる「メイド・イン・ジャパン」のスキームなのである。
その原点ともいえる「組織」が産声を上げたのは、1997年12月のことだ。97年というのは、一定以上の年齢の日本人にとって、忘れられない(あまり思い出したくない)1年かもしれない。90年代初頭にバブル経済が弾け、くすぶり始めていた企業の不良債権問題は、この年の11月、三洋証券に始まり、北海道拓殖銀行、そして山一證券と続いた大手金融機関の破綻ドミノという想定外の事態で、一気に「見える化」された。
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