コロナで死去、立石義雄さんが大切にした良心 オムロン名誉顧問の最強の武器は「愛嬌」だった

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立石義雄さんも「人生の達人」を目指した。2003年、立石義雄さんが会長になった後、創業家出身ではない社長が2代続く。作田久男氏が8年間社長を務めた後、山田義仁氏が49歳にして社長に抜擢された。その山田社長は立石義雄氏の逝去に際し、次のようにコメントした。

「明るくて気さくな人柄は、誰からも愛され、まるで太陽のような快活さで、人が自然に集まり、周りに笑顔が絶えませんでした」

ダイエーの創業者である中内功氏が創設した流通科学大学(神戸市)の玄関にある碑には、次の言葉が刻まれている。

「ネアカ のびのび へこたれず」

業界も経営スタイルも異なるが、立石義雄さんの生きざまは、まさにこのとおりであった。何よりも10年間通った同志社から受けた影響も大きかったと筆者は見ている。明治8年に同志社を創設した新島襄の教えが心に染みついていたようだ。

京都御所の北向かいにある同志社大学の正門には「良心の碑」なるものがある。この碑には「良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ望テ止マサルナリ」と、新島襄直筆の名句が記されている。

「大切なことは人の幸せ、社会の役に立つこと」

「利益はあくまで結果。大切なことは人の幸せ、社会に役立つこと」との信念をつねに口にしていた立石義雄さんは、2006年5月に(当時)35カ国で事業を展開するグローバル企業の新経営理念として、「企業は社会の公器である」を制定した。これも「良心」の具現化であると考えられる。

立石義雄さんはコロナウイルスの犠牲者となったが、コロナウイルス以前にも、2003年にSARS(重症急性呼吸器症候群)、その10年後にMERS(中東呼吸器症候群)と、近年、新型ウイルスが次々と感染拡大している。

これほど短期間で次々と新型ウイルスが発生する事態は、かつて人類史上ではみられなかった。その最大の原因として、自然破壊による生態系の乱れを指摘する専門家は少なくない。地球温暖化も人間が人工的に生じさせた成長のゴミである。

コロナウイルス感染拡大で日本経済、世界経済の今後が危ぶまれるが、「利益はあくまで結果。大切なことは人の幸せ、社会に役立つこと」という立石義雄さんの信念を今こそ再評価したい。

立石義雄さんの言動は、ややもすれば、御曹司がつぶやく「きれい事」にとらえられたかもしれない。しかし、コロナウイルス感染問題を機に、「きれい事」がいかに重要であるかがわかったのではないだろうか。理想を語る経営者が少なくなった今、立石義雄さんが大切にした「良心」こそ、時代のキーワードになるのではないだろうか。

長田 貴仁 経営学者、経営評論家

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おさだ たかひと / Takahito Osada

経営学者(神戸大学博士)、ジャーナリスト、経営評論家、岡山商科大学大学客員教授。同志社大学卒業後、プレジデント社入社。早稲田大学大学院を経て神戸大学で博士(経営学)を取得。ニューヨーク駐在記者、ビジネス誌『プレジデント』副編集長・主任編集委員、神戸大学大学院経営学研究科准教授、岡山商科大学教授(経営学部長)、流通科学大学特任教授、事業構想大学院大学客員教授などを経て現職。日本大学大学院、明治学院大学大学院、多摩大学大学院などのMBAでも社会人を教えた。神戸大学MBA「加護野忠男論文賞」審査委員。

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