コロナで死去、立石義雄さんが大切にした良心 オムロン名誉顧問の最強の武器は「愛嬌」だった

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「家族思い」は人的資源管理(HRM)にも反映された。他社に先駆け、1988年に3カ月間のリフレッシュ休暇制度を管理職に義務づけた。元祖「働き方改革」と言えよう。

晩年は孫10人に囲まれ、家庭人としても成功者であった。「人生100歳時代」といわれる現代にあっては早過ぎる死ではあったが、今でこそ一般用語になってしまった「ワークライフ・バランス」「ホワイト企業」を先駆した代表的経営者と言えよう。

訃報後の各メディアの評伝では、オムロンの売り上げを2倍にし、グローバル企業に育て上げた辣腕経営者ぶりが書かれていた。確かに経営上の功績は大きかったが、オムロン創業者で初代社長、義雄さんの父でもある立石一真氏がかかげた経営理念を重視・継承した点も見逃せない。

世の中にないものに挑戦していく夢追い人

「機械にできることは機械に任せ、人間はより創造的な分野で活動を楽しむべきである」は、AI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)の時代を予見していたようだ。

立石義雄さんは創業者の理念をしっかりと継承し、不要な労働は人の自由と貴重な時間を奪うものであると考えていた。世の中にないもの、他社がやっていないものに挑戦していく夢追い人であった。

こう述べると、「京都企業の経営者らしいな」とステレオタイプな見方をする人も少なくないだろう。確かに、京都に本社を置く企業は、他地域発祥の企業に比べると、次のような特徴が顕著だ。

(1) 独創性を重んじる
(2) ベンチャーから大企業になった会社が活躍している
(3) 大きくなっても東京に本社を移さず、トップが京都から陣頭指揮を執るところが多い

などである。このような共通点に依拠し、「京都企業」として十羽一絡めにされるのだろう。だが、「京都の経営者」の生態はさまざまだ。

立石義雄さんはオムロンの経営者としては駅の自動改札機や銀行のATMの普及などに力を注いだほか、京都商工会議所会頭を今年3月まで4期12年余り務めた(撮影:今井 康一)

たとえば、立石義雄さんとの彼我を見るうえで注目したいのが、同じく「中興の祖」と呼ばれた任天堂の山内溥氏(故人)と、日本電産の創業者で現在も会長CEOを務める永守重信氏(75)だろう。

山内氏は京都財界といっさい付き合わないという人だった。「お酒が好きなようですが、いつもどこで飲んでおられるのですか」と聞くと、冗談半分だろうが「家で飲んでいる。外やったらパンツ一枚で飲めんやろう」と言い放った。

また、対人関係においても好き嫌いが激しい人で、感情をそのまま表情に表した。コピーライターの糸井重里氏をはじめ、懇意にしている人には出合い頭から満面の笑みを浮かべるが、そうでない人にはぶっきらぼうに接した。山内氏は人と群れない、人に迎合しない生き方を独創性の表象として自身の美学にしていた感がある。

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