大林宣彦「私が120年前の映画に学んだこと」 「最後の講義」で若者に伝えたメッセージ
この映画は、略奪行為をはたらく野武士たちから身を守ろうとした農民たちが、自分たちに力を貸してくれる侍を探して、野武士と闘う話です。そういう中で黒澤さんは、単なるアクションではなく、侍と百姓を比べれば“どちらがより人間らしく生きているか”といったことを描きたかったわけです。
農民たちは、味方になってくれた侍には米を出しながら、自分たちは稗(ひえ)を食べていました。それを知った侍の大将格である志村喬さんが「この飯、おろそかには食わんぞ」と言う場面があります。地味なシーンであっても、昔の人間であればつい涙ぐんでしまうようなところです。
『七人の侍』は、そんな日本人の精神性を描いた日本映画です。しかし、世界に送り出された『七人の侍』は、テンポなどを重視して編集し直したものなので、そういうところが薄れてしまっている。となれば、それは「世界のクロサワ」と呼ばれる黒澤さんがつくった本当のクロサワ映画とはいえないものになっているわけです。
ぼくのように同時代を生きていた後輩としては、そこにあった無念がどれほどのものだったかと思わざるを得ません。クロサワ映画ならではの世界観をしまい込み、アメリカ映画のようにしなければ、日本映画を世界に出せなかったのですから、どれほど無念だったことか……。
過去には、そういう“痛み”があったという事実を知っておいてもらったうえで、この映画を記憶しておいてほしいと思います。
黒澤さんの喜び以上に黒澤さんの悔しさや悲しさを知っているぼくなどは、現実に何があったのかを伝えていきたい気持ちがとにかく強い。そして皆さんには、黒澤さんの悔しさを晴らすためにも、黒澤さんがつくったものとはまた違った自分たちの『七人の侍』をつくる責務があるんだという自覚を持ってほしいと願います。
過去を知ることにはそういう意味があります。
過去の映画を未来の映画にしていくのも、生きている皆さんの仕事です。それが映画を未来へとつないでいくということなのです。
『ハワイ・マレー沖海戦』の特撮映像
黒澤さんに限らず、ぼくの先輩はみんな、戦争中の人たちです。先輩たちがつくった映画を観れば、その背後にある戦争が感じとれます。
だけど、現代に生きる皆さんはもうそれを感じとることが難しくなっているはずです。なぜ難しいのかといえば、そういう映画では、画面に戦争が描かれていることが少ないからです。
戦争中の映画監督が、戦争をリアルに描こうとすれば、負け戦ばかり描かなければいけなかったという現実もあります。