大林宣彦「私が120年前の映画に学んだこと」 「最後の講義」で若者に伝えたメッセージ

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大林宣彦監督が映画に込めた、伝えたかったメッセージをお伝えします(写真:NHK「最後の講義 大林宣彦」)
4月10日、「映像の魔術師」と呼ばれた映画作家の大林宣彦監督がお亡くなりになりました。
この日は遺作となった「海辺の映画館-キネマの玉手箱」の公開予定日でした。2016年8月に肺がんのステージ4で余命3カ月と宣告されながらも2本の映画を制作。「1本の映画にクランクインしてから、その先3カ月から1年は命をもたせておかなければならない。それが映画を作るうえでの一番の責務だ」と語り、映画を撮るときは「この映画が出来上がるまでは何があっても死なないぞ」という覚悟を決めていました。
生前の最後に発売された『最後の講義 完全版 大林宣彦』より、第1章『「あの時代」の映画に込められていたメッセージ』から抜粋し、お届けします。
【編集部より】大林監督のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心よりご冥福をお祈りいたします。

古い映画を観る意味はどこにあるのか?

ぼくはね、1960年代までは、この日本で観ることのできる世界中の映画を全部観ている人間なんです。

今は幸いなことに古い映画を観やすくなっています。DVDなどで出ているものも多いですから、著作権が切れてしまった映画なんかはパソコンで観ることもできます。パソコンをクリックしていくだけで、長年ぼくたちが観たくても観られなかった映画を観られる時代です。皆さんが生まれる前につくられた映画などもぜひ観てほしいところです。

ぼくは8年間、『いつか見た映画館』という番組をやっていて、毎月、映画を2本ずつテレビで紹介してきました。全部、ぼくが40分ずつ解説するという形でやっていて、ここ数年はサイレント映画も放送しています。

サイレント映画の画像はモノクロです。上映時間はさまざまで、20分もないようなものもある一方で、長ければ3時間や4時間なんてものもあります。

さすがに4時間、音のない映像を観ようというのでは、今の人たちはその時点でたじろぐのではないかと予想されます。おそるおそる2日くらいに分けて観ようかなと思うかもしれない。

なかなか踏み切りにくくても、だまされたつもりで観てみてください。DVDを入れてスイッチを押して、腰をかがめた状態で、ちゃんと再生されるかを確認していて、「おお、映り出した。大丈夫だな」なんて思っていれば、すぐに小1時間くらいは観ちゃっているものです。

どうしてかといえば、それだけ面白いからです。

我を忘れたように観ていて、1時間くらいたってから、「あれ、立ったまま観ていた」と気づいたとしてもおかしくありません。それであらためて座っても、背もたれがあるのも忘れて身を乗り出して観ている。

「サイレント映画とはこんなに面白いものなのか!」と驚くはずです。

音もなければ色もないと聞けば、退屈な印象を受けることでしょう。でも逆にいえば、そんな映画で人をひきつけ、3時間、4時間と観てもらわなければならないわけです。そうやって何かを伝えようとするのは大変なことです。

いかに映像だけで面白く見せるかということに、持てる限りの知恵をつぎ込んでいるのですから、それだけ面白くなります。

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