「セクハラ失業した男」ウディ・アレンの大反論 自伝本めぐって再燃する「父と息子」の愛憎劇
だが、これら俳優の行動を、ウディはシニカルに見ている。彼の映画では昔から誰に対しても俳優組合が定める最低賃金しか払わないので、寄付すると言っても、あのレベルのスターにとっては所詮、はした金。見せかけにすぎないというのだ。
「役者たちは、今やみんな、私と仕事をするのを拒否する。中には本当に私のことを犯罪者だと信じている人もいるのかもしれない(どうすればそんな確信ができるのかは謎だが)。多くの役者は、拒否することが高貴な行動だと思っているのだろう。もしも私が実際に悪いことをしたなら、そうする意味はあるのだろうが、していないので、それは無実の男を苦しめ、ディランの頭に植え付けられたうその記憶を固めることにしかならない」と、ウディは本の中で述べる。
ウディとローナンの「複雑すぎる関係」
だが、ウディに、ディランに対する恨みは、まるでない。ローナンに対しても、複雑ではあっても、憎しみは感じられない。ローナンの本当の父親は(ミアの元夫)フランク・シナトラではないかという疑惑があるのだが、それについてもウディは、「ミアがそう示唆しても、自分の子だと思う。もちろん、本当のことはわからないけれども」と書く。
これについての本当のことは、DNA検査をすれば、すぐにでもわかる。だが、28年前のその日、実際に何が起きたのかは、そう簡単には判明しそうにない。
ウディは、舞台や映画について、ファーストアクト(最初の4分の1)がダメか、サードまたはフォースアクトがダメかだったら、ファーストアクトがダメなほうが、救いようがあると書いた。84歳の彼の人生は、今、サードアクトか、フォースアクトか。彼の人生のドラマには、果たしてどんな形で完結をするのだろう。
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