「セクハラ失業した男」ウディ・アレンの大反論 自伝本めぐって再燃する「父と息子」の愛憎劇
ウディの1992年のスキャンダルについて、多くの人は漠然と覚えている程度ではないだろうか。この時には、複数のことが連続して起きている。
ひとつは、彼が恋人ミア・ファローの養女スンニ(当時大学生)と肉体関係をもっていた事実の発覚。
もうひとつは、彼が当時7歳だった養女ディランに性的な虐待をしたとミアが告発したこと。そして、ローナン、ディラン、養子でローナンとディランの兄であるモーゼスをめぐる親権争いだ。
恋人の娘しかも自分より35歳も年下の若い女性と二股をかけていたとは、誰もが眉をひそめるだろうが、バレたきっかけが、ミアがウディの家で(ふたりは13年間の交際中、一緒に住んだことはない)スンニのヌード写真を見つけたことだったというのもまた、衝撃的だった。
ウディとスンニはその後結婚し、今もおしどり夫婦。
「#MeToo」勃発でぶりかえされたのは、そちらではなく、ディランへの虐待容疑である。「#MeToo」が勢いを増す中、ディランが新聞に意見記事を書いたり、テレビに出演したりして、人々に古い記憶を呼び戻させたのだ。
この問題に関し、ウディは、刑事裁判は棄却になり、児童福祉施設、児童性的虐待クリニックらの調査でも無実となったことを、一貫して主張してきた。しかし、ローナンは、『Catch and Kill』の中で、ウディがどのようにこの裁判を棄却に持ち込んだのかを自分で調べたと書いている。
ウディは「探偵まで雇って捜査妨害」した疑い
彼の説明によると、ウディは、容疑がかかるやいなや、ただちに10人以上の私立探偵を雇い、捜査にかかわる警察や検察のあら探しをしようとした。アルコールやギャンブルなどの問題を見つけ、逆バッシングするのがねらいだ。
これらの妨害に疲れたコネチカット州の検事フランク・マコは、有罪を証明する余地はあると感じながらも、「幼いディランにトラウマを与えないため」と言い訳し、起訴を断念したと、ローナンは言う。金でつぶすやり方は、ローナン自身がハーベイから受けた経験に共通する。
私立探偵を使ったことについては、ウディも、自分の本で認めている。具体的に何をやらせたかったのかは書かれていないが、「彼らはまったく無能で雇った意味がなかった」とのことで、ウディにしてみたら、作戦は成功でなかったようだ。
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