上図は私が講演会でときどき使用する“学校の機能”を表したスライドだ。
(外部配信先では図を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください)
ブルーの部分はいわゆる教科教育。ここついては、学校によっては独自の「シラバス(学習計画表)」を用意しているが、どこの学校でも学習指導要領に準じているので、基本的にやっている内容に大差はない。
グリーンの部分は学校の文化だ。フランスの社会学者ブルデューが「ハビトゥス(ある階級や集団に特有の行動・知覚・判断の様式を生み出す諸要因の集合)」と呼んだものに似ている。明文化できない要素であり、少なくとも数十年という単位の時間をかけて醸成されるものだ。
ブルーの部分の教育内容や成果は、言語化・数値化・コード化しやすい。しかしグリーンの部分の教育内容や成果は、文字や数字では表しにくい。よって私は拙著『名門校とは何か?』で、「シラバス(ブルーの部分)はコピーできてもハビトゥス(グリーンの部分)はコピーできない」と書いた。
現状を踏まえて言い換えるなら、「ブルーの部分の教育はオンラインでもできるが、グリーンの部分の教育はオンラインではできない」ということになる。いま流行りの言葉を使うなら、グリーンの部分が「非認知能力(客観的に認知しにくい力)」、ブルーの部分が「認知能力(客観的に認知しやすい力)」と言うこともできる。
毎日わざわざ学校の空気を吸いに行くことの意味
くり返す。グリーンの部分はオンラインでは伝えられない。逆に言えば、毎日わざわざ学校の空気を吸いに行くことの意味は、実はグリーンの部分にこそある。学校の文化を少しずつ体に染み込ませるのだ。
特に私学の場合、そのために高い学費を払っていると言っても過言ではない。グリーンの部分にこそ個性があり、その具現が、開成の運動会であり、麻布の文化祭であり、巣鴨の大菩薩峠越えなのである。いずれも入学早々の春に行われ、新入生たちに学校文化のシャワーを浴びせる。それらの実施がいま危ぶまれている。そこで失われる教育効果は計り知れない。
麻布の平秀明校長は「準備の日数が取れないことと、学校が再開したとしても、万人規模の来校者のある催しを行うべきではないとの判断から、今年度の本校の文化祭は開催するとしても9月以降になる見込み。クラブ活動や自治活動にも共通するが、一つの目標に向かってみんなと連帯して努力したり、非日常の経験を積んだりする機会が損なわれる」と言う。
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