伝染病で26年以上も隔離された女の数奇な人生 腸チフス菌を持ち続けたメアリーが受けた差別

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ところで腸チフスとは、どんな病気なのだろう? 著者は「私は医師ではないので」と前置きをしながらも、この点についてわかりやすく解説している。

腸チフス菌(Salmonella typhi)は、サルモネラ属に属する細菌である。症状が似てはいるが、若干軽い傾向のあるパラチフス菌の原因菌も、同じ種類に属している。
腸チフスは、汚染された水や食蜜から経口感染する。菌が体に入って数日から二週間ほどの潜伏期間のうちに、菌が血液に侵入する。すると徐々に体温が上昇し、四〇度前後にまでなる。そしてその高熱が四週間も持続する。脈拍が緩慢になり、バラ疹という特徴的な発疹が現れ、脾臓が腫れ上がる。発熱が一カ月程度も続くと、腸に内出血が起きたり、穿孔が生じたりする場合がある(穿孔とは、穴が空くこと。腹膜炎を起こし、当時ならまず助からない)。現在では、有効な抗生物質のおかげで治ることが多くなったが、メアリーの頃には、致死率もかなり高く、恐れられていた。(49ページより)

いま現在コロナ禍と対峙しているわれわれから見れば、どことなく新型コロナを連想させる部分もあるが、いずれにしても当時の患者をどれほど苦しめたものであったかは容易に想像できる。

偏見が生み出した不幸

1907年のニューヨーク市内でのチフス患者は4426人、1908年は3058人。アメリカ全土では、当時だいたい毎年20万人前後の患者が発生していたそうだ。

発生率は3%だったというが、仮にそれを正しいとするなら、1907年のニューヨーク市には132人、1908年の同市には91人のキャリアが誕生し、アメリカ全土では毎年6000人の新たなキャリアが発生するという計算になる。

しかも、それぞれのキャリアは病院のベッドでじっとしているわけではなく、仕事をしながら日常生活を送っている。そのためキャリアたち全員を特定し、拘束し、観察し続けることは到底不可能。それは、関係者の誰もが理解していることだった。

なのに、メアリーだけが監禁生活を強制された。そこに絡んでくるのは、移民に対する偏見である。

メアリーもまた、移民の一人だった。たしかに、黄色人種ではなく、白人ではあった。だが、貧しくカトリック系のアイルランドの移民だ。これが彼女に対する処遇になんらかの影響を与えなかったはずはないと考えて、まず問題ないのだ。(72ページより)

つまりは純粋に客観的な科学的判断に基づいているのではなく、人種や文化などにまつわる偏見がバックグラウンドにあるということなのだろう。

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