伝染病で26年以上も隔離された女の数奇な人生 腸チフス菌を持ち続けたメアリーが受けた差別

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三七歳を境にして、彼女の生涯は大きく変わった。それから三〇年以上も彼女は生きるのだが、ほんの数年を除けば、残りの人生の大部分を、一種の隔離状態の中で生きていかねばならなかった。皮肉なことに、まさにそれによって、彼女は歴史に名を残すことになった。(「はじめに」より)

北アイルランドに生まれたメアリーは、13、14歳のころに経済的な理由からアメリカに移住する。当時の詳細については不明点も多いというが、その後は紆余曲折を経て召使いとして働くことになったようだ。

だいたい想像がつくように、彼ら移民たちの生活は、かなり過酷なものだった。特に女性たちは、どこか、土地の良家の召使いとして働くことが多かった。一般に、召使いたちの仕事はそうとうハードなものだった。朝は六時頃に起き、夜は一一時頃まで働くことも希ではなく、食べ物は主人一家の余り物。住み込みの小さな部屋で、粗末な風呂に汚いベッドしかあてがわれないということもしばしば。そしてなにより、そんな生活だったので、よい男性と巡り会う機会もあまりなく、生涯独身を通す女性も少なくなかった。(19〜20ページより)

不衛生な環境での生活を余儀なくされていた

つまり彼女は、不衛生な環境での生活を余儀なくされていたわけである。だとすれば、この際の腸チフス流行の責任を彼女1人に押しつけることは間違っている。

にもかかわらず彼女は拘束され、ニューヨークのノース・ブラザー島にあるリヴァーサイド病院に入院させられた。1910年2月に解放されるまで、“まずは”3年近くをここで過ごすことになったのだった。ちなみに同島は、重く恐ろしい伝染病にかかった人たちを一定期間隔離するという思想を体現する島だったという。

そして先述したとおり「チフスのメアリー」という表現が広まっただけでなく、現地の新聞などはメアリーのことを「歩くチフス工場」「人間・培養試験管」などと呼んだ。

著者はこのことについて「人間というものは、本当に、自分よりも弱い立場に貶められた人を見つけると、その人をもっと貶めて喜ぶところがあるらしい」と記しているが、たしかにそのとおり。信じがたいほど低次元な話であるが、残念なことにそれも人間の一側面なのかもしれない。

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