伝染病で26年以上も隔離された女の数奇な人生 腸チフス菌を持ち続けたメアリーが受けた差別
一九三三年の七月に、メアリーは、自分の人生も終わりに近いことを悟って遺言を残している。二〇〇ドルをプラヴスカに、二〇〇ドルをレンペ一家に、二五〇ドルをブロンクスの聖ルカ教会に、四〇〇〇ドルをオフスプリングに遺贈するという内容だった。メアリーは、長い年月の間に、商売や仕事でかなりの金額を稼いでいたということがわかる。彼女は自分の墓石もきちんと自分で買った。いまは、ブロンクスの墓地で静かに眠っている。(117ページより)
「2人目のメアリー」を生み出してはならない
本書の巻末「おわりに」の部分に、著者はこう記している。
腸チフスがもたらす社会的災禍は、いまでは昔とは比べものにならないくらいに小さいものにすぎない。だが、恐ろしい伝染病が、いつ社会に蔓延するかは誰にもわからず、もしそうなれば、電車で隣に座る人が、恐ろしい感染の源泉に見えてこないとも限らない。(137ページより)
そのような恐怖感が心のなかに住み着いてしまうことは、残念ながら人間の基本的条件なのかもしれない。冒頭で引き合いに出した、宅配便ドライバーに対する行いにもそれは表れている。
だとすれば今後、人々が未来の「チフスのメアリー」を同定し、恐怖を感じ、隔離し、あざけり、貶めるという構図が繰り返される可能性がないとは言い切れないだろう。
全人類がコロナ禍に翻弄され、「すぐ近くに感染者がいるのではないか」と怯えざるをえない状況であるからこそ、つまり、いわれのない差別意識が生まれやすい状況であるからこそ、われわれは知性をよりどころにするべきだ。
安易な感情の高まりに任せて、「2人目のメアリー」を生み出すような選択をしてはいけないのだ。そのことについて考えてみるためにも、本書をぜひ手にとっていただきたいと思う。
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