日本の働き方をひっくり返した起業家の熱情 「地位やお金じゃない」サードドア開く爆発力
ところが、大学3年生のとき、当時上智大学教授だった猪口邦子先生の講演を聞いて衝撃を受けたんです。猪口先生は、次のようなことをおっしゃったんです。
「これからは専業主婦よりも、働きながら子育てする女性のほうが増える。当然企業も、売れる商品やサービスを作るために、働いて子育てするような女性のアイデアがないと勝てないから、両立する人をむしろ必要とするでしょう。イノベーションの時代を築くのはあなたたちなのよ」と。
それを聞いて私は、「えっ、それなら私だって頑張りたかったのに! まだ間に合うなら私だって社会で活躍したい!」。そういう強烈な思いに突き上げられました。同時に、自分の中にそんな思いがあったことにも驚きました。
とは言っても、大学の授業はほとんど寝て過ごしてきて、まじめに勉強してきた頭のいい人たちと同じ道で競っても勝てないし、まともな就活なんてできるわけがない。
だけど、なんとかして自分の人生を変えたい。そんな一心で思いついたのが、「そうだ、人生を変えるためにアメリカに行こう」だったんです。いま思えば短絡的すぎる判断ですが、私は大学を休学して、渡米しました。
渡米先で見つけた「夢の卵」
『サードドア』の書き出しの、大学生のバナヤンが、寮のベッドに寝ころびながら将来に悩んで、一発逆転を狙って行動し始めるという話に触れて、まさに自分と重なりますし、共感するところだと思いました。
留学など、きちんと段取りをつけて行ったわけでもないアメリカで私が何をしていたかというと、住み込みでベビーシッターをすることになりました。そこでまた衝撃的な体験をしたんです。
そのときのホストマザーの方が、育児休業中にeラーニングで勉強して資格をとり、職場復帰して昇格していきました。その姿を間近に見た私は、どうして日本にこの仕組みがないんだろう。これがあれば、育休期間も、自分のスキルを上げて職場に復帰するための学びの時間になるのに、と。この体験が、私の「夢の卵」になったんです。
帰国後、就職しようとするも就活で40社から落とされるような状況だったのですが、なんとか1社、資生堂に採用していただいて営業職になりました。そこでたたいたのが次のサードドアです。入社1年目のとき、アメリカでの体験を生かして、社内のビジネスモデルコンテストに応募したんです。
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