ひろゆき「遅刻に厳しい人と距離を置きたい訳」 「時間どおり」が価値になる世界の本質
「じゃあ、15分以内に届ければいいじゃん」って考える人もいるかもしれません。でも、ピザが届く時間が30分から15分になったところで、多少うれしくはあるけれど、仕事の価値が劇的に上がるかというと、かなり微妙な気がします。
とにかく、「時間どおり」が価値になる世界って、そういうことなのです。
もちろん、「熱々のピザを届けて喜んでもらうのに無上の幸せを感じる」とか、「配達のバイクに乗って風を切っているときこそ人生の生きがいだ」とかのように、給料なんて関係なく、そこに幸せを感じられるのなら、そのままでいいと思いますよ。
ただ、現時点で提供している価値が、それより上がりようのない世界にいながら、「時給が上がらない」などと文句を言うのだったら、その仕事についてちょっと考え直してみたほうがよさそうです。
まあ、あくまで僕の考えなので、異論はあるかと思いますけどね。
そもそも「遅刻は悪」なのか?
先ほどもお話ししたとおり、僕は人より遅刻が多いみたいです。だから最近は、「こいつは遅刻する」とわかっている人しか連絡をしてこない状態だったりします。
十分な睡眠をとらないとアウトプットの質が悪くなる、と言いましたが、日本に帰国中は毎日のように人と会う予定があるので、睡眠時間が削られて寝不足のまま出かけることもあります。
例えば、13時半に人と会う予定があるのに、前の晩から友達とファミレスで話し込んでしまって朝の7時に帰宅したときなんかも、寝不足のまま出かけました。
といっても約束の時間には間に合わず、遅刻したんですけどね。当初の予定ではもっと早く起きるつもりだったのに、ちょっと寝ようと思ったら、思いのほか深く眠ってしまったみたいです。
遅刻されて怒る人もいるのでしょうが、そもそもの発想が遅刻を前提としていないからだと思います。待ち合わせ場所を決める時点で、「遅刻しても罪悪感がない場所」「遅刻されても苦にならない場所」に設定しておけば、遅刻問題のほとんどは解決するんじゃないでしょうか。
例えば僕は、学生のころから「待ち合わせは書店で」と決めていました。書店なら、雑誌とか本を立ち読みしている間にあっというまに30分くらい経ってしまうから、僕が遅刻して行っても怒られたことはありません。
むしろ相手が「ちょっと待ってて」なんて言って立ち読みを続け、僕のほうが待つ雰囲気になったり、「だったら僕も」と書店をブラブラ物色したり、ということもよくありました。結局お互いにとって、ムダな時間は生まれませんでしたね。
待ち合わせというと駅前とかが一般的ですが、そういう場所で何もせずに待っている時間は、相当な時間の浪費だと思います。
遅刻の是非はともかくとして、遅刻を怒るタイプの人は、おそらく僕みたいな人間と仕事をしてもうまくいきません。
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