私は現在、アメリカ・ワシントン州のシアトル近郊で暮らしながら、年に複数回、母国タンザニアに足を運んでいる。アメリカで東アフリカ支援のためのNGOを運営し、そのNGOの支援を受けてタンザニアで3つの学校と病院を運営しているが、新型コロナウイルスの世界的流行が懸念されるようになってからというもの、まったく心が休まらずにいる。
シアトルはアメリカの都市の中でもかなり早くに非常事態宣言を出し、4月13日現在も、ロックダウンが続いている。「こんなことがアフリカで起こったら、どうなるだろう」――そう思うと、夜も眠れなくなるのだ。
アメリカ、欧州の医師を確保できない
新型コロナウイルスがもたらすアフリカへの懸念は多岐にわたるため、何をどう手配し、準備すべきかを考えるだけでも複雑な作業になる。私が運営に携わるニューホープ国際病院は、通常、地元の女医1人と看護師4人がいて、手術や大きな病気の診断や治療はアメリカから医師を呼んで対応している。
病院の所在地は、タンザニアのサキーラという小さな村。周辺地域5万人への医療サポートや、ケニア、ウガンダなど東アフリカを中心に医療支援をしている。だが、通常連携をとっているアメリカ、そしてヨーロッパの支援先が自国の対応で手いっぱいになっている中、アフリカ現地に出向いてくれる医師や医療用衛生用品の確保、ロックダウンが起こった場合の食糧確保と、考えねばならないことが山積みだ。最近、新型コロナウイルス対策のための「東アフリカ・エイド」も立ち上げたが、まだまだ対応は追いついていない。
昨今アフリカは目まぐるしい経済成長を遂げており、そこに商機をみいだす人も多くなった。最近ではアフリカを称して、「最後のビジネス・フロンティア」というような呼ばれ方をすることもある。特に、ケニアのナイロビや、南アフリカのヨハネスブルグなどの大都市などには、多くの国々から新しいビジネスチャンスを求めて人々がやってくる。
私の故郷、タンザニアにも都会はある。ことダルエスサラームは、日本とも縁がある国際都市だ。この街は、アフリカ大陸では日本からの中古車輸入の玄関として知られる地でもあり、多くの日系企業も進出している。そこには近代的な街並みや豊かな生活もあるのだ。
しかし、それは広大なアフリカの一部に過ぎない。アメリカで国内の分断が表面化した時にも、イギリスのEU離脱問題の時にも同じことを考えたが、豊かな生活を享受できる人とそうでない人では、モノの考え方や、生きる上での優先順位のつけ方に温度差がある。アフリカの場合、この差は他の国々よりもさらに激しいだろう。
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