定年で「肩書を失った人」が感じる大いなる喪失 「出世=運」と思っていてもいざとなれば切実

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悲しいかな、他人はつねに自分を映し出す鏡。そこに映ったのは何者でもなくなった、自分の姿だった。行きの列車で浸っていた“余熱”が帰りの列車で冷め、何者でもない自分に気がめいる。無性に寂しくなり、先行きの見えない不安に襲われてしまうのだ。

もっとも本人も「昔のまま」を期待していたわけじゃない。むしろ「変わったこと」を確認したかった。古戦場巡りは過去と決別し、自分を納得させるための儀式のようなもの。もちろん無意識にではあるが……。

いずれにせよ「自分も肩書に惑わされていた」という言葉を紡ぐのに、山下さんはどれほど葛藤しただろうか。若い頃は仕事のできる上司に憧れるが、年を重ねると「ああはなりたくない」とアンチロールモデルばかりが目につくようになる。

「昔の肩書にしがみつく元上司」「会社にしがみついてるくせに文句ばかり言う元エリート」「元部下に仕事の指示をしてうるさがられる役職定年社員」などを見るにつけ、「あんなふうになったらおしまいだ」と自分を戒める。

ところが自分も……、肩書に惑わされていた。過去の人間関係に居場所を求めた自分が、滑稽でたまらないのだ。

拙著『定年後からの孤独入門』でも詳しく解説しているが、大きな組織に属していると、肩書に甘んじた人間関係を築いてしまいがちだ。自分の影響力を肌で感じ、心地よさを感じた経験も1度や2度じゃなかったに違いない。属性や職名が自分の大きな部分だったことに気づき、その社会的な立場が弱まったことを寂しがる自分を受け入れるのは容易ではなかったはずだ。

声の調子を変える本能

肩書には私たちが想像する以上に、人の心に強い影響を及ぼすパワーがある。

肩書の効果に関する研究はさまざまあるが、中でも興味深いのがアメリカの人気テレビ番組「ラリー・キング・ライブ」を舞台にした研究である。コミュニケーション研究ではかねて「人は無意識に声の調子や話し方を、権力や権威を持つ人に近づける傾向がある」という主張があり、それを検証しようと「ラリー・キング・ライブ」でのインタビューを分析した。

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