定年で「肩書を失った人」が感じる大いなる喪失

「出世=運」と思っていてもいざとなれば切実

呪縛から逃れ自分の価値を自分で作る絶好の機会でもある(写真:polkadot/PIXTA)
早期退職も考えましたが、取りあえず様子見で雇用延長し、管理部門に異動になりました。定年で大きく変わったのは、固定給が大幅に減額されたことと、時間外手当がつくようになったことくらいです。気持ちに余裕ができたせいか、妙に昔が懐かしくなりましてね。40代の頃に単身赴任でお世話になった方に、元気なうちに会っておこうと1人旅に出ました。
みんな集まってくれてホントにうれしかった。毛糸のひもがほどけるように、次々と当時の記憶がよみがえって大いに盛り上がりました。でも、そんな楽しい気持ちとは裏腹に寂しい気持ちになってしまったんです。
何か特別なことがあったわけじゃないんだけど、そうね、自分は過去の人なんだって痛感した。旧友と会ったことで客観的に自分が見えてしまって。感傷的になっているのは自分だけで、妙に情けなかった。雇用延長してから、社内では自分の立ち位置がうまくつかめなくて。ケツの据わりが悪かったんです。自分では意識してなかったけど、旧友たちに慰めや励ましの言葉を期待していたのかもしれません。
でも、彼らからすれば私は恵まれているように見えたみたいで。うん、そうね。俺、何やってんだろう、ってね。やっぱり定年っていうのは「肩書」が消える日なわけです。たとえ何がしかの肩書がついても、影響力のない肩書はただの記号です。誰も期待しません。私はそれまで、肩書で生きてるつもりはなかった。でも、自分も肩書に惑わされていた。そのことに気付かされて、恥ずかしかったんです。
金融関係勤務 山下さん(仮名)63歳

居場所を求め「古戦場」を巡る

定年後、孤軍奮闘した「古戦場」を訪れたり、その界隈をさまよう人は実に多い。行きつけの飲み屋でママさんが振る舞う手料理や、それをさかなに飲んだくれた常連たちへの懐かしさに加え、かつての人間関係の中に自分の居場所を確認しようと心が無意識に動く。

人間にはアイデンティティー(自己の存在証明、自分とは何者であるかの自己定義、あるいは自分自身は社会の中でこうして生きているんだという実感、存在意義)を探索する欲求があるため、楽しかった過去の人間関係に安寧を求めるのだ。

ところが現実は残酷である。

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