東村アキコが「お稲荷さん」を本気で描いた理由 「苦もなくできることは誰にでも絶対にある」
――本作では「才能があっても、そこから発展性と創造性がないとお金に換えられない」ともいう教えも描かれています。東村さんご自身は、どのように創造性を培っていますか?
ひたすらインプットをしています。映画鑑賞や読書、NetflixやHuluなどで、若い人が観ている流行っているものをなんでも観ます。漫画家さんのなかには、インプットしないでも描ける人もいますが、私は0から生み出す才能がないので、まねるところから始めます。例えば「ライバルもの」「成長もの」というように、型を決めてから取り掛かるのです。
“まず型にはめてみる”ということを美大で学んだので、完成形の型をある程度設定してから、その中で自由にやらないと、「ビャアー!」ってフルーチェみたいにこぼれ落ちてしまうんです。だからクリエイター志望の人は舞台や小演劇、ミュージカルなどをたくさん観ることをお勧めします。型の制約が大きいのは舞台やミュージカルだと思うので。
バッドエンドは絶対に描かない理由
――東村さんは現在44歳ですが、1人の人間としても職業人としてもさまざまな経験を積んでこられたと思います。『稲荷神社のキツネさん』は今だからこそ描けた?
若いときだったら描けませんでした。「私を認めて、褒めて」という承認欲求がありましたし、自分さえよければそれでいいと思って生きていました。でもこの歳になってくると、スタッフやファンの方にうまくいってほしいと心から思います。
私は『かくかくしかじか』を描き終えたときに、もうやり遂げたと思いました。あとは余生を楽しく生きていきたいと思いました。奉仕の精神ではないですが、おせっかいに「こうしたほうがいいよ」って言えるのはある程度歳とらないと言えないですよね。そういう意味では私も“いいおばちゃん化“してきたなって思います(笑)。
――東村さんが漫画を描き続けるモチベーションはどこに?
きれい事のようですが、私自身、今の生活に悩みもなく、満足していて毎日楽しく生きているので、鬱屈したものを作品として出したいというのがまったくないんです。
今はアシスタントさんと部活みたいにやっていますから、アシスタントさんがいなくなったら、生活がつまらないのです。仕事場に行くのも、アシスタントさんとしゃべりたくて行く、というチーム感がモチベーションになりますね。
読者の方からの感想なども励みになります。自分が描きたいものがあってそれを貫くというよりも、悩んでいたり困っていたりする読者が、漫画を通して元気になってくれることもモチベーションにつながっています。
子どものときから学級委員をやっているような面倒見のいいおせっかい女子で、人の悩みに答えたり相談を受けるのが好きなタイプなので、落ち込んでいる人を見ると、かわいそうに思えて仕方がないのです。おこがましいかもしれませんが、そういう人たちを助けたい、喜ばせたいって思いながら描いているので、バッドエンドは絶対に描きません。私は着物さえ買えればいいのです(笑)。
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