東村アキコが「お稲荷さん」を本気で描いた理由 「苦もなくできることは誰にでも絶対にある」
漫画の連載を取りたいという新人漫画家のアシスタントさんも、伏見稲荷大社に登った直後の帰りに連載が決まるということもありましたね。ご利益だとか、キツネさんがよくしてくれたというロマンティックな考えもありますが、私は漫画家なので、それだけではない考え方もします。
商売人の場合は、「絶対この商売を繁盛させる」とお参りで誓うことで、あともう一歩仕事しないといけないときに、潜在的能力を出して、あとちょっとの頑張りを積み重ねていくことで結果が変わっていくのだと思います。
昔の人は飢饉や戦争などもあり、現代人よりも生きるのに大変だったと思うのですが、当時は精神を安定させるためのカウンセリングや精神科、ヤフー知恵袋もありません。代わりに神社や占いが精神安定剤になっていたと考えると、お稲荷さんは庶民にとっていちばん手近な精神安定、カウンセリングの役割を果たしていたのではないでしょうか。
歴史あるお稲荷さんの世界観は、デザインされています。街の中に溶け込んでいる神社の空気感に触れながらお参りすることに意味があり、自分自身に誓うムードが大事だと思うのです。ムードがあることで、自分が映画の主人公になったような気になります。例えば結婚式でも、新郎新婦に誓いを立てさせる神父さんはアルバイトでも外国人の方であるケースがほとんどですが、自分を奮い立たせる誓いをするときには、儀式的な要素が大事だと思います。
才能を生かすには矯正のターン、“守破離”が必要
――本作で描かれている主人公に白狐は「才能は苦もなくできること」と説いています。
このくだりが、原作を読んだときにいちばん衝撃を受けた部分です。「才能は、努力した者だけが勝ち取れる」とよく言われます。才能は努力とセットだと思って私は生きてきましたが、20年間、漫画家としてやってきて周りで売れていく漫画家さんを見ていると、やっぱり天賦の才だと思うのです。どんなに努力しても、楽しそうにやって面白いものを描ける人にはかなわない。日本人は努力している人が好きだから、そんなこと言ったら感じ悪いから言えなかったのですが。
――東村さんの自伝であり、代表作の1つである『かくかくしかじか』(集英社『Cocohana』で2012年1月号から2015年3月号まで連載)で描いたご自身は、美大に入るために絵画教室に通ってそこで恩師から熱烈な指導を受け、まさに絵を「描いて描いて描きまくって努力した存在」に映ります。
私は絵を描くのが好きだし、紙を与えてくれたらいつまででも絵を描いているような子どもだったので、そういう意味では、「頑張らなくてもできる才能」だと思いますが、美大に入る受験勉強は頑張りました。受験用の絵を描くことで、型を矯正されたのです。人生において好きなことを仕事にする場合、それをアマチュアからプロの領域に引き上げるための矯正のターンは必要です。
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