物語は恋人同士である2人を中心に展開されるが、背後には当時のイタリアが抱えていたさまざまな問題があり、政治と宗教関連の話題がたくさん詰め込まれている。2人が乗り越えなければならない試練の中で最も恐ろしいのが、1630年にイタリア北部を襲ったペストだ。自らの命を守れるかも定かではないのに、それでも相手を思う、ピュアな心を持ち続ける2人の姿が胸を打つ。
言うまでもないが、校長は『いいなづけ』を引用することで、新型コロナウイルスとペストを比較したかったわけではない。
17世紀の人たちと現代人はほぼ変わらない
17世紀のイタリアの医療技術と知識、そして衛生状態は今とは比べ物にならないし、状況は何もかも違う。しかし、この作品に描かれている、無知から来る恐怖や、外から来た人たちへの不信感、意味もなく食料を買い占めようとしている人たちの姿など、そのすべては、ここ最近メディアで報じられている日常とそう遠くない。
むしろ、スマホでどんな情報でも手に入れられるという錯覚に陥っている現代人と、いろいろな事象に対して知識が非常に乏しかった17世紀のミラノの一般市民がほぼ同じ行動をとっている、という事実がそこにあり、現実を見つめ直すという意味においても、この作品を改めて読むことは今だからこそ意味がある。
マンゾーニが描くペストは恐ろしく、そして恐怖に翻弄されている人たちの変わり果てた姿は本当におぞましい。洗練された語り口によってつづられるその一部始終は脳裏に焼き付けられる。
もっとも、1785年生まれのマンゾーニはミラノでペストが広まったときにまだ生まれていない。彼はすばらしい小説家というだけでなく、優れた研究者でもあったので、リアリティーあふれるディテールの一つひとつは、すべて参考資料をベースに創作したものである。
イタリアの古典文学において、マンゾーニのほかに、伝染病の恐ろしさとそれをめぐる人間の軽率さを語った作家がもう1人いる。それはルネサンス初期に活躍したジョバンニ・ボッカチオという文学者である。
フィレンツェの商人の息子だったボッカチオは商業の修行、法学の勉強を試したものの、身が入らず、若い頃はかなりの遊び人だったらしい。ナポリなど、いろいろな街で思う存分遊んでから、1341年にフィレンツェに戻ると、1348年に黒死病がフィレンツェを襲う。
ボッカチオの父親をはじめ、多くの親戚や友達もそのとき命を落とすなど、彼自身、身をもってさまざまな苦難を体験しているが、その中でも物語を作る意欲を持ち、作品を発表し続けた。
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