ミニストップ「マクドに挑んだ」独自の成長戦略 狙ったのはファストフードとコンビニの合体

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コンビニを出店するにあたり、母体であるジャスコ(現イオン)は業態開発プロジェクトチームを発足させ、流通先進国であるアメリカを視察し、ノウハウを持つ企業との提携も模索したが、最終的には新しい「器」を自分たちで創造する方針を固めた。ではそこで、なぜコンボストアになったのか。

ミニストップ独自の成長戦略

1つの業態だけではなく、成長性の高い業態同士を組み合わせて、1プラス1を2、さらに3にする可能性に賭けたのだろう。成長性の高い業態を組み合わせて力を倍増させて、先行するコンビニチェーンを追いかけ、競合しても負けない業態を志向したのだ。

成長性の高い業態の一方は、もちろんコンビニである。そして、同じく成長著しかったフードサービス業の中でも、職人を必要とせず、経験の浅いアルバイトでもオペレーションできるファストフードに狙いを定めた。3桁、4桁のチェーン化を志向するのであれば、ファストフードは、コンビニとの相性も抜群にいいと考えた。

ミニストップ1号店開店の80年、外食市場は約14兆円の規模に達している。外食市場は10年間で約5倍の成長を遂げてきた。中でも1971年7月に銀座三越の1階に出店したアメリカ発のマクドナルドは、1976年12月に100店舗、1979年10月に200店舗と、破竹の勢いで進撃している真っ最中である。

ケンタッキーフライドチキンは、1970年11月に日本上陸。当初は出店立地をアメリカの主流である郊外に設定したところ、知名度が低かったために集客が上手にできずに撤退するも、マクドナルドが銀座の一等地で知名度を上げる作戦により成功したことで、ケンタッキーも同様に大都市から攻略する戦法に改めている。その後は成長軌道に乗せて、1980年には売上高100億円を突破していた。

ミニストップは1980年7月1日、横浜市港北区の住宅地に1号店の「ミニストップ大倉山店」をオープンする。初代店長には、現在のイオングループを率いる岡田元也が着任している。

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