「人望のないゴーン」逮捕が招いた意外な副作用 リーダーに人格を求める考え方はもう古い?

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ところで、事件を受けて、このところ「ゴーンの経営はよくなかった」「従業員や下請けを切っただけでしょ」とゴーンの実績を否定する見解が増えています。しかし、これは結果から逆算した偏った見方ではないでしょうか。倒産の瀬戸際に追い込まれた日産を救い、ルノー・日産連合を世界有数の自動車メーカーに育て上げた実績は実績として認めるべきだと思います。

ゴーンの実績を素直に認めるなら、人望がなくてもいい経営はできる、人望は経営者の必要条件ではない、という仮説が成り立ちます。人望がなくても、卓越した経営手腕や強大な権限があれば問題ないということでしょう。

日本では「人望のある経営者」が人気だが…

日本では、人の上に立つ経営者に人望(人徳)を期待します。古くはパナソニック創業者の松下幸之助、めざしを食べて行革に取り組んだ土光敏夫、最近では京セラ創業者の稲盛和夫のように、私利私欲を捨て、社員・顧客・社会に貢献するために経営に打ち込む経営者に部下など関係者は人望を感じ、打算でなく、心からつき従います。

こうした日本人の考え方を受けて、リーダー教育で講師は「リーダーには人望が必要」と力説します。かく言う私も、社会人大学院や企業研修の場で、あるいは著作で、経営者などビジネスリーダーを目指す学生・受講者・読者に、“無私の姿勢”を強調しています。

「経営者は苦労が多い割に報われることが少ない理不尽な役割だが、それを理不尽と思わず、無私の気持ちでこの役割を受け入れることで他人がついてくる――」

理屈はあります。どんなに能力が高い経営者でも、自分一人でできることには限りがある。経営者が孤軍奮闘するよりも、人望があり、関係者から能動的に貢献・協力してもらえるほうが、経営課題にうまく対応できるはずだ――。

理屈では、人望のある経営者のほうが人望のない経営者よりもいい経営ができるはず。ところが、現実はそうでもないようです。「無私→人望→人がついてくる→経営が成功」というロジックは、ゴーンや欧米のスター経営者を見る限り絶対のものではなく、「そうであるはず」という思い込み、あるいは「そうあってほしい」という願望にすぎないのかもしれません。

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