2500年前の「論語」だからこそ学べる人間の本質 いつの世になっても変わらない身と心の正し方

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子曰く、賜(し)や、女(なんじ)は予(われ)を以て多く学んでこれを識(し)る者と為すか。対えて曰く、然(しか)り。非(あら)ざるか。曰く、非ず。予は一以(もっ)てこれを貫く。

センセイは子貢(しこう)にいった。

「おまえは、わたしのことを、たくさんのことを学んで該博(がいはく)な知識を持った人間だと思っているのかい?」

「はい、もちろんです!」

「それはまちがいだよ、子貢。わたしが知っていることはたった1つだけなんです。その1つがとても大事なんですよ」

「……それ、なんですか?」

「自分で考えてごらん」

(と補ってみましたが、センセイが考える、『大切な1つ』ってなんでしょうね)

子曰く、由(ゆう)や、徳を知る者は鮮(すくな)いかな。

「子路、ほんとうにつくづく思うのだけれど、『徳』がなにであるかを知っている者、というか、それを知って実践している者は、実に少ないのですよ」

権力者は自分がいかに優れているかを証明したい

子曰く、為すなくして治むる者は、其れ舜(しゅん)なるか。夫(そ)れ何をか為すや。己を恭(うやうや)しくして、南面を正すのみ。

「あの舜という王様は、なにか特別なことをしたわけじゃありません。というか、これといったことはなにもしなかった。だいたい、権力者というものは、ほかの誰もやったことのないことをやろうとするものですよ。

うまく統治することより、自分が如何(いか)に優れているかを証明したいという本能があるんです。でも、舜はそんな欲望から自由でした。そして、そんな舜の統治下、国は平和で豊かで、国民は舜を深く敬愛していたのです。ほんとうに考えさせられますよね」

子張(しちょう)、行わるることを問う。子曰く、言うこと忠信(ちゅうしん)にして、行い篤敬(とくけい)ならば、蛮貊(ばんぱく)の邦(くに)と雖(いえど)も行われん。言うこと忠信ならず、行い篤敬ならずんば、州里(しゅうり)と雖も行われんや。立てば其の前に参(まじ)わるを見、輿(よ)にありては其の衡(こう)に倚(よ)るを見て、夫れ然る後に行われん。子張これを紳(しん)に書す。

子張がセンセイにこんなことを訊ねた。

「センセイ、わたし、悩んでおります。どうすれば、わたしの思いが相手にきちんと伝わるのか。いくら考えてもわからないのです」

「いいですか、子張。しゃべることばが真剣で、しかも1度言ったことを違(たが)えない。そして、なにかをするときにはいつも誠実で、真心がこもっている。そうだったら、世界中、どこに行ったって、おまえの思いは通用するだろうね。

逆に、ことばがでたらめで、なにかをするといっても、いつもいい加減なことしかできないとしたら、おまえの生まれ故郷でさえ、相手にされないでしょう。いまわたしが言ったことをスローガンにしてみると『言忠信行篤敬』となります。この6文字のコピーが、家にいるときも車で出かけるときも、つねに目の前に浮かぶぐらい頭にすりこまれていれば、思いを伝えることができるようになりますよ」

センセイのことばに感銘を受けた子張は、この6文字をステッカーにしていつも持ち歩くポーチや財布に貼り付けておいたそうだ。

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